那覇空港第2滑走路運用開始前に振り返る沖縄観光の歩み


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 那覇空港第2滑走路の運用が26日に始まる。新型コロナウイルス感染症の影響で航空路線は大幅な減便となるなど出ばなをくじかれた格好だが、沖縄観光はこれまで幾度も危機を経験しながらも著しい躍進を遂げてきた。沖縄の玄関口が大きく広がる第2滑走路の運用開始に合わせ、沖縄観光の歩みを振り返る。

 戦後、本土から沖縄を訪れる目的は慰霊訪問や戦跡巡りが中心だったが、日本復帰を記念した1975年の沖縄国際海洋博覧会をきっかけに、ビーチリゾート地として注目されるようになった。観光客の来県を見込んだホテルなどの開発ラッシュも起きた。

 しかし、海洋博終了とともに翌年の観光客数は半分以下に落ち込んだ。海洋博の需要を見込んだホテルが供給過多となり、一転して不況に見舞われた。

 県ホテル旅館生活衛生同業組合の宮里一郎理事長は「海洋博後も沖縄の観光は伸び続けると予想していたが、そうはいかなかった。倒産が相次いで、命を絶つ人もいた」と振り返る。

 その後は、航空会社など観光業界が沖縄のイメージアップのキャンペーンを実施し、再び入域客数は上昇基調に乗り、国内客を中心に観光客数は右肩上がりで伸びていった。

 90年代以降の沖縄ブームや2000年の沖縄サミット開催など国内外に認知度が高まっていたさなかの01年9月、米中枢同時多発テロにより米軍基地のある沖縄への修学旅行が敬遠される事態になり、観光業界は打撃を受けた。県や観光業界で全国の教育委員会を回って沖縄をPRし、需要を取り戻していった。

 その後も08年のリーマン・ショックによる景気悪化、翌年の新型インフルエンザ流行など沖縄観光は何度も困難を経験する。

 「危機のたびに閉業したり身売りしたりするところが出て厳しかった。けれども、沖縄の持つポテンシャルや魅力があるからこそ観光客は常に戻ってきた」(宮里理事長)

 12年に一括交付金が創設されて以降は、沖縄の観光プロモーション活動が活発になり、海外路線の便数増加が加速する。19年には外国人観光客が全体の約3割を占めるようになり、入域客数はついに1千万人に到達した。

 だが、今年に入り、世界規模の新型コロナの感染拡大で航空路線の運休・減便と旅行の手控えが続き、再び沖縄観光は窮地に立たされている。海外の航空路線は昨年3月末時点の週213便から週59便に減少した(16日時点)。観光産業を中心に打撃は大きく、臨時休業や雇用調整をする企業も増えている。

 沖縄観光コンベンションビューローの下地芳郎会長は「厳しい状況だが、沖縄のポテンシャルが失われたわけではない。第2滑走路やホテルなど受け入れのインフラは整っているので、そこにいかに早く観光客を戻していくかだ」と強調した。
 (中村優希)