16世紀末の琉球王族の墓はどんな造り? 那覇市が内部を初調査


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山川陵の墓室内部を調査する学芸員たち=27日、那覇市首里山川町(喜瀬守昭撮影)

 那覇市は琉球の王族の墓「山川陵(やまがーりょう)」(同市首里山川町)の範囲と墓室内部の様子を確認する調査を初めて行っている。27日に墓室を開け、内部の詳細な造りが明らかになった。市は山川陵を指定文化財候補の一つとしており、今回の調査は将来、指定が可能かどうかの検討材料となる。尚家関係者や識者からも指定を期待する声が上がっている。

山川陵の墓室を開ける学芸員ら

 国王や王妃が玉陵(たまうどぅん)に葬られるのに対し、山川陵には王妃以外の婦人や早世した子らが葬られた。16世紀末には造営されていたと確認できる。沖縄戦で日本軍が防空壕として利用するため、内部の厨子(ずし)を玉陵に移した。戦後の1952年に琉球最後の国王・尚泰の七男・尚時さんらが葬られ、現在は時さん家族4人の厨子が納められている。

 山川陵の土地を取得した企業に文化財の調査を依頼され、那覇市は2017年度に試掘を行った。範囲と墓室内を確認する調査は今年2月に始まり、3月末まで続く。繁茂していた草などを取り除き、入り口の階段や門の下の石畳、石垣が発見された。

 墓室の調査は時さんの孫・勇さん(72)らが立ち会った。内部の広さは幅約340㌢、奥行き約220㌢、高さ約240㌢。市の学芸員・鈴木悠さんによると、天井が高いのは「17世紀以前の古い墓の特徴」という。丁寧に削られ、しっくいの跡があり「王族の墓らしい、しっかりとした造りだ」と指摘した。墓室内の右側にはさらに空間があり、石積みで閉じられていた。壁に文字も書かれていたが解読できなかった。

 勇さんは市の調査について「歴史を伝えていくためにも非常に喜ばしい。将来は文化財に指定してほしい」と話した。今後の全面的な発掘調査は未定。考古学を専門とする県立芸術大学名誉教授の安里進さんは「山川陵は玉陵と機能的につながっているが、史料からは十分に見えないところがある。今後、本格的な発掘調査をすることで、従来分からなかった玉陵の歴史も明らかになると期待できる。那覇市には今後の調査成果を踏まえ指定文化財に位置付けてほしい」と期待した。(伊佐尚記)