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<メディア時評・新型コロナ緊急事態宣言>国難 何でもありか 国民と報道「ブレーキ」に

 今から140年前は、廃藩置県で琉球藩から沖縄県にかわった時だ。新聞でいえば、ちょうど朝日新聞が誕生したのもこのころである。国内ではコレラが全国に蔓延(まんえん)、一方で自由民権運動の高まりを受けて厳しい言論弾圧が行われた。名誉毀損法制である讒謗(ざんぼう)律、新聞紙条例、集会条例などが矢継ぎ早に制定されていった時期でもある。

 ここに挙げる1枚は、当時の人気風刺新聞の挿絵だ。皆、黒いマスクをしているが、ちょうどこの感染症の広まりにひっかけて、口封じの社会状況を批判している。

政府の自覚

 国難、国家的危機、想定外、苦渋の選択…言い方はいろいろだが、結果として目の前に広がる光景は、超法規的措置として進む、自由や権利の制限だ。

 ドイツのメルケル首相は3月18日の国民向けメッセージの中で外出規制などの権利制限について、「苦労して勝ち取ってきた自由を制限することは、この国ではありえないことであったし、その制限は絶対に必要な場合にのみ正当化される」としたうえで、「民主主義国家においては、これら制限は簡単に行われるべきではなく、一時的なものでなくてはならない」とした。そしてこれらの「政治的決定は透明性が担保され、きちんと説明が果たされなければならない」と述べている。

 どうしても隣の芝生は青く見えるものではあるが、やはり基本を押さえること、筋を通すことは大切だ。緊急事態だからといってやっていいことと、いけないことをきちんと峻別し、どうしても実施する場合には、十分に説明をすることが必要ということになる。こうした「躊躇(ちゅうちょ)」がまるでないかのごとく、これまで積み重ねてきたものを簡単に手放す状況が、今の日本では続いてはいまいか。

 たとえば3月31日には、「新型コロナウイルス感染症の拡大防止に関する統計データ等の提供の要請について」が発表され、プラットフォーム事業者・移動通信事業者等に対し、地域の人流把握やクラスター早期発見のため、ユーザーの移動やサービス利用履歴等の提供を受けるという。これまで、個人情報の外部提供やビックデータ利用については、さまざまな歯止めを講じてきたものが、一瞬にして崩れてしまう可能性を含む。

議会の封鎖

 また、日本中の議会でも、これまでにないことが同時進行している。沖縄県下でも少なくない議会が「短縮議会」を実施、傍聴も「自粛要請」措置をとっている。可能な限り、議事は省略し一般住民は議場に来ないでください、ということだ。その結果、一般質問を取りやめたり、特定の部局(新型コロナ対策関係部局)への質問を制限することが起きている。

 また傍聴に関しても、自粛ではなく傍聴自体を禁止しようとする自治体も現れた。傍聴できなくても議事録や放送・インターネットによる中継で代替されるという説明がなされているようだ。しかし、議事の公開(傍聴)と議事の記録(議事録の作成・閲覧)は別物だし、ネット中継は公開(傍聴)の補完にすぎないことも確認が必要だろう。

 立法府における議論の公開は、憲法で国会審議の公開が保障されている、重要な権利だ(57条)。さらに国会法によって、一般には傍聴が認められないことが多い委員会においても、報道機関の取材は認めることが定められている(国会法52条)。地方議会においても、同様の権利保障がなされるべきであって、傍聴の禁止は許されないということだ(地方自治法115条)。同時に、報道機関の取材は、仮に一般傍聴が制限される場合においても、その適用外として認められてしかるべきだ。

 審議時間の短縮を図る工夫は日常的にもあってもよいかもしれないが、質問中止や会期短縮を軽々に行ってしまっては、自身の存在意義を揺るがすばかりか、憲法的価値の否定にもつながる行為といえるだろう。議会によっては、報道機関の取材に対しても自粛要請や禁止措置をとったところもあったようだ。これは、緊急事態だからといって奪ってはいけない範疇(はんちゅう)のものだ。

自粛の要請

 一連の自粛要請は、今や社会の中で当たり前のこととして受け入れられ、さらに緊急事態宣言の発動によって事実上の強制力をもって広がりつつある。外出、営業、催事等、さまざまな市民・団体の活動に対し、一律に制限がかけられることになった。これまで、あれだけ忖度を問題視していた社会も、さらにステップアップさせた、忖度の命令ともいうべき自粛の要請をすんなりと受け入れてしまっている。

 当たり前のことをあえて確認しておくが、市民的自由を個別の法律によって制約する場合であっても、憲法原則を超えることは許されない。これにプラスして、社会にはいわゆる社会的勢力による権利制限のパターンが存在する。たとえば、業界団体による縛りは一般的だ。さらに、自主規制と呼ばれるもので、団体・企業そして個人が、それぞれの自律的な判断で、自己の行動を差し控える場合がある。今回の法に基づく自粛の要請は、自主規制を政府が命じるものであって、官製自主規制といえよう。

 日本国内では、市民の自制的行動などの結果、かろうじて感染者の数が抑制されている。一方で、沖縄県下では在日米軍基地内での感染が発表されたものの、米兵が入国制限の対象外であるほか、基地内外の行き来も自由だし、感染者の居住地も未発表だ。まずは足もとを固める必要を感じさせる一例である。それなしに一足飛びに市民的自由に手を付けることは、かろうじて守ってきた「大切なもの」を失うことになりかねない。

 車に例えれば、コロナ特措法という強力なエンジンを積み、緊急事態宣言という形で強くアクセルを踏み込んだのがいまの状態だ。性能がいいブレーキがないと車は暴走する。そのブレーキ役に私たち一人ひとりが意識的にならなければならないと思う。もちろん、報道機関の役割もいつも以上に重要だ。

(山田健太、専修大学教授・言論法)

 



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