由井晶子さん死去 沖縄タイムス元編集局長 女性の権利獲得に尽力


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 沖縄タイムス社の元編集局長・取締役で、女性の権利獲得や人材育成に尽力したフリージャーナリスト由井晶子(ゆい・あきこ)さんが15日午前11時45分、心不全のため那覇市内の老人ホームで死去した。86歳。那覇市出身。家族葬を執り行い後日、お別れの会を開く。喪主は長男祥(しょう)さん。

 由井さんは早稲田大学を卒業し1955年、沖縄タイムス社の東京支社に入社した。同支社編集部長、本社編集局学芸部長、編集委員・論説委員をへて91年に取締役に就任した。同年8月~92年12月まで編集局長を務めた。94年に取締役を退任し論説顧問に就任。97年に退任した。

 大学に入学した51年にサンフランシスコ講和条約が締結され沖縄、奄美が米施政権下に置かれた。島ぐるみ闘争から復帰運動に至るまで文化や近代史関連などの記事を東京から送り続けた。

 共生社会の実現や女性の権利獲得のための活動に情熱を注ぎ「うないフェスティバル」の実行委員長を務めた。金城芳子基金運営委員会の委員長も歴任した。退職後はハンセン病問題の全面解決を目指して活動するハンセン病問題ネットワーク沖縄の代表として、ハンセン病への偏見をなくしていく運動を推進した。主な著書に「沖縄 アリは象に挑む」などがある。