沖縄から「核地雷小隊」をベトナム戦派遣 米陸軍、解禁文書で判明


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ベトナムへ移動前の第173空挺旅団=1965年5月

 【東京】1960年代、沖縄からベトナム戦争に派遣された米陸軍第173空挺旅団に、小型戦術核の一種「核地雷(ADM)」を扱う小隊が置かれていたことが分かった。国際問題研究者の新原昭治氏が入手した米軍の解禁文書にその存在が記載されていた。日本復帰前の沖縄に核兵器があったことは明らかになっているが、文書はベトナムで使用する事態に備え、訓練や保管拠点として沖縄が深く結びついていた一端を示している。

 新原氏が入手したのは南ベトナム米陸軍司令部が傘下部隊への指示や連絡のため発行していた文書で、米テキサス工科大学ベトナム・センターのアーカイブに保管されていた。そのうち67年12月11日付文書に、司令部の指示があった場合に核能力を配備可能にする準備を短時間で進める部隊として、第173空挺旅団の「核地雷小隊」が列挙されている。
 第173空挺旅団は63年の陸軍再編に伴い沖縄で発足し、65年にベトナムへ派遣された。63年、同旅団のパラシュート降下訓練を確認するため西表島を訪れたことがある新原氏は「長く関心を持ってきたが、核地雷の部隊まで持っていたことは知らなかった」と話した。
 日本復帰前の沖縄には核地雷を含め、さまざまな核兵器が配備されていたことが米国防総省の解禁文書で明らかになっている。核地雷は陸軍や海兵隊で扱われ、60年代の米軍キャンプ・ヘーグ(現在の沖縄市、うるま市)で核地雷を用いた訓練に参加したとする元海兵隊員の証言もこれまで出ている。
 新原氏によると、ベトナムに派遣中の部隊が、核兵器訓練のために沖縄に戻されるケースもあったという。