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検察の人事権、暴走抑えるべきは政府<佐藤優のウチナー評論>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 検察庁法改正に対する抗議活動が広がっている。ツイッター上では「#(ハッシュタグ)検察庁法改正案に抗議します」という投稿が相次いでいる。芸能人を含め、さまざまな人が政治問題について自分の意見を発表することは、民主主義の健全な発展のために必要だ。

 しかし、政治と検察の関係について、より深く考えてみなくてはならないと思う。筆者がこれまでに読んだ中で、最も共感できるのが吉村洋文大阪府知事の発言だ。

 〈弁護士出身の吉村氏は「政権に対する捜査などを緩めてしまうのではないか、介入じゃないかという意見もあるが、これは突き詰めて考えなければいけない。検察トップの人事権はだれにあるのか」と議論の前提条件を投げかけた。/「検察庁法で人事権は内閣にあると決められている。なぜか? 検察組織は強大な国家権力を持っている。強大な国家権力を持つ人事権をだれが持つべきなのかを本質的に考えなければいけない。僕は選挙で選ばれた代表である国会議員で構成される政府が最終的な人事権を持つのが、むしろ健全だと思う。もし検察組織が独善になったとき、だれがそれを抑えるのか。だれも抑えられない。最終的には人事権を持っている人でないと抑えられない」〉(5月11日「日刊スポーツ」電子版)

 筆者は鈴木宗男事件に連座して2002年に東京地方検察庁特別捜査部に逮捕され、東京拘置所の独房に512日間勾留された経験がある。鈴木氏やその秘書、筆者の外務省の部下に対する恫喝まがいの取り調べの実態を熟知している。

 また、小沢一郎衆議院議員をめぐる事件では、元秘書の石川知裕氏(元衆議院議員)の捜査報告書が実際の取り調べの内容とは異なっていた事案(石川氏がICレコーダーで録音していたために明らかになった)についても内情を詳しく知っている。

 検察は、守秘義務がある捜査情報をマスメディアにリークして世論を誘導する。筆者自身がそれを経験している。検察庁に対しては吉村氏が言うように「選挙で選ばれた代表である国会議員で構成される政府が最終的な人事権を持つのが、むしろ健全だ」という考えが皮膚感覚として筆者にはしっくりくる。

 検察庁の人事権を究極的に内閣が持つべきかという問題と黒川弘務氏が検事総長として適任かという問題は分けて考えるべきだ。黒川氏の検事総長就任に問題があるとするならば、この根拠を具体的、実証的に明らかにして国会で追及すればいい。

 いわゆるリベラル派の人たちや野党が、自分たちに牙を剥(む)いてくる可能性がある検察を聖域にしようとする動きに手を貸しているのが不思議に思えてならない。辺野古新基地建設に抗議し、逮捕された人々に対する検察の対応が中立だったとは筆者には思えない。戦前の陸海軍は、「統帥権の独立」を口実にして、政治的統制の枠を外れていった。この歴史から学ぶ必要がある。 

(作家・元外務省主任分析官)