バレーボール仲本賢優 「自分次第でプラスに」 苦境を成長の好機に<みんなにエール③>


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 バレーボールVリーグ1部の強豪パナソニックパンサーズに今年入団した仲本賢優(22)=西原高―日体大出。父は中高大と全日本選抜に選出された名選手の賢一郎さんで沖縄バレーボール界の“サラブレッド”だ。ただ、ここまでの競技人生が全て順風満帆だったわけではない。

Vリーグデビュー戦でジャンピングサーブを放つ仲本賢優=1月19日、沖縄市体育館

 6歳で競技を始め、高校時代は絶対エースとして3年連続で全国高校総合体育大会(インターハイ)と「春高バレー」に出場。世代別の日本代表にも選ばれ、名門日体大に進んだものの、大学では周囲との体格差が壁として立ちはだかった。187センチの身長はアタッカーとしては小柄で「プラスアルファの武器を持たないといけない」とレシーブ力の強化に注力した。指先でコントロールしやすいオーバーハンドや下半身の筋力を地道に鍛えた。

 徐々にレシーブ成功率が上がり、プレー時間も増えた。しかし再び試練が訪れる。2年時の冬に右足の甲を疲労骨折し、5カ月間試合から遠のいた。その時意識したことは「この期間に足りない部分を伸ばす」という前向きな思考だった。球の勢いや変化に対応できるよう下半身を中心に筋力を増強。パワーが付いて動きも安定し「打って守れる選手」に成長した。3年時には大学生から選抜されるアジアカップの日本代表に選ばれた。

 座右の銘は「転んでもただでは起きない」。今年1月のVリーグデビュー戦直後に右足首を手術し戦線を離脱したが、今回もレベルアップの好機と捉える。多くの日本代表選手に囲まれる環境下で「うまい選手は無駄がない。レギュラーを取るためにも、体を正しく使えるようになりたい」とバランス力の向上に努める。苦難を乗り越えた先に自身の成長があることを知っているからこそ、努力を怠らない。

(長嶺真輝)

春高バレーでサービスエースを決め雄たけびを上げる当時西原高2年の仲本賢優=2015年1月6日、東京体育館

仲本からメッセージ

 できることが限られている今だからこそ、新しいことにチャレンジしてほしい。バレーボールであれば1人でも片手でボールを続けてはじきながらコントロールしたり、壁に当てて返ってきたボールをレシーブしたりして練習はできる。自分も学生の頃によくやっていた。あと野球やサッカーなどプロ選手らがウェブでトレーニング動画をアップしている。いろいろなスポーツの特徴をものにすると、新たな刺激があるかもしれない。大会だけが全てじゃない。苦しくてつらい時期も、自分次第でプラスにできる。

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 新型コロナの影響で部活はできず、目標とする大会が中止となった子どもたちへ、県出身アスリートが自身の経験を振り返り、エールを送る。