野球の比屋根渉 苦難の先に「違う自分が見えてくる」 プレーできることに感謝<みんなにエール④>


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ヤクルト時代の比屋根渉(右)=2017年2月、浦添市民球場

 日本プロ野球機構(NPB)への参入を目指す琉球ブルーオーシャンズ。入団第1号の比屋根渉(沖尚高―城西大出、日本製紙石巻―東京ヤクルト―大和高田クラブ)は、コロナ禍でも「先が見える分、希望はある」と前を向く。

 チーム練習は4月から中断しているが、5月中旬からの再開を予定。休止中は体力維持に注力してランニングや体幹トレーニングに励む。「チーム練習ができるようになるのは、前進している証拠だ」と力強い。

 奮い立たせているのは、東日本大震災での記憶だ。当時、宮城県の日本製紙石巻に所属し、震災発生時は大会出場のため東京にいた。工場のある静岡県に避難し、戻れたのは3月末。1カ月ぶりの石巻はがれきの山と化し「仕事もまともにできず、野球のことを考える余裕もなかった」。食料もなく、風呂にも入れない状況で、被災者宅や工場の泥かきを始めた。「未来が見えない中、野球部もなくなる」と思った。

 チーム活動の再開は社長からの一言がきっかけだった。「野球で石巻を盛り上げてくれ」との思いを受け、夏から再開。日々の生活もままならい中での活動再開には申し訳なさが勝った。だが「頑張れ、と声援をもらうと野球で元気を届けたい。プレーできていることへの感謝を示したい」と気持ちに変化が出た。

 2011年のドラフト会議でヤクルトから3位指名された。震災によって選手生命を諦めかけたところからプロ入りをつかんだ。「石巻の人たちのおかげで運良くプロに行けた。野球で恩返しできたら」との思いを持ち続けている。

 練習できない学生たちに、苦難を乗り越えた先には「またこれまでとは違う自分が見えてくる」とエールを送る。プレーできる喜び、周囲への感謝を胸に、球音の響きを待っている。

(上江洲真梨子)

入団会見で清水直行監督(左)と握手する比屋根渉=2019年10月29日、県庁

メッセージ

 大会の開催可否が分からないからと、準備を怠らないでほしい。大会を目標に取り組んできた選手にとってモチベーションの維持は難しいと思うが、あきらめずに継続して練習することが重要だ。

 野球は1人でやっているのではない。仲間や監督、家族など、いろんな人の応援があって、プレーができる。どの競技もそうだが、周囲への感謝の気持ちを忘れず、大会を信じて今の状況を乗り越えてもらいたい。苦難を乗り越えた先にはきっと新たな発見が待っている。

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 新型コロナの影響で部活はできず、目標とする大会が中止となった子どもたちへ、県出身アスリートが自身の経験を振り返り、エールを送る。