FC琉球のFW上原慎也(33)=西原高―沖縄大出=は今季でプロ12年目を迎えるベテランだ。2009年、コンサドーレ札幌(当時J2)に入団。学生時代はユニバーシアード日本代表候補に選ばれるなど注目される選手だったが「プライドやポリシーよりも素直に周りの助言を聞いた」と監督やコーチの要求に応えて厳しい世界を生き残ってきた。
仲間と苦楽をともにした大学時代の4年間を「財産」と振り返る。味方のプレスでつくった決定機に上原が決める。上原を生かすようにチームが動いていた。
2006年、大学2年生でユニバ代表合宿に招集されて、プロが目標に変わった。4年生の天皇杯県予選で当時JFLのFC琉球から上原が4得点を挙げて勝利するなど活躍し、半年後には札幌と契約を結んだ。
身長186センチを生かしたヘディングが強みだが、プロ入りまでは「頭痛がするし大嫌いだった」と明かす。札幌入団後、石崎信弘監督にロングボールに合わせたヘディングでの得点を要求されて練習を積んだ。「パワープレーで使われていなかったら今の自分はない」。求め、助言に応じ、変化を恐れず対応してきた経験が生きている。
激しいポジション争いもあり、札幌の村田達哉コーチの勧めでサイドバック(SB)にも挑戦した。最初はポジショニングもわからず「ぼろぼろだった」と苦しんだが、徐々に感覚をつかんでいった。
2011年には左SBでの起用も増えてJ1昇格に貢献した。選手としての幅が広がり、「今でもサッカーができるのは村田さんのおかげ」と感謝を忘れない。札幌にスカウトしてくれた恩もあり「メンツをつぶさないためにも長くプロを続けたい」と活躍を続けていく。
(古川峻)
メッセージ
子どもたちには、家の手伝いなどできることをしてほしい。その姿勢は学校でも生きてくるはずだ。サッカーに関しては、外でのプレーが難しくても、自宅でボールに触れることは続けていてほしい。僕はけがした時、ピッチの外から仲間のプレーを冷静に見て、自分だったらこうするとか、復帰した時にやりたいことを考える。けがとコロナは同じではないけれど、休止期間に外から自分を眺めてみることも大事なこと。落ち込んでいても時間がもったいない。FC琉球はリーグが途中で中断している。その悔しさを練習が再開した時にぶつけたいと思っている。
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新型コロナの影響で部活はできず、目標とする大会が中止となった子どもたちへ、県出身アスリートが自身の経験を振り返り、エールを送る。