琉球大学開学70年 沖縄を「知の津梁」に 西田睦学長インタビュー


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
開学70周年を迎えた琉球大学の歩みや今後の展望について語る西田睦学長=27日、西原町の同大

 琉球大学が22日で開学70年を迎えた。戦後の混乱期に開学し、人材育成、研究活動で県経済と県民生活の発展に貢献した同大の歩みや今後の展望について、西田睦学長に話を聞いた。

 ―70年間で琉大が果たした役割とは。

 「戦後の復興期から県経済の発展に資する重要な人材を輩出してきた。行政、県内企業で卒業生が多く活躍している。育つ場を提供できたのは間違いない」

 「米国の州立大学などがよく設けている『普及部』が初期の琉大にもあり、直接、地域に研究成果を還元してきた。農業の研究、教育者の育成、各家庭での栄養・衛生など地域の発展に果たした役割は大きい。現在も企業や市町村との共同研究、依頼を受けての調査などで貢献している」

 「豊かな自然と文化がある地域の特性を生かした研究も盛んだ。生物多様性に関する研究や琉球諸語の研究など、理系も文系も誇れる成果が出ている。沖縄ならではの特徴を生かしていこうという視点は当初からあった」

 ―今後の展望について考えを聞かせてほしい。

 「大学誕生の時から『琉球列島地域のための大学』というスタンスがある。それを守って展開していきたい。地域そのものを、琉球列島地域だけでなく、アジア太平洋地域と捉え直すことも始めている。これからの時代、人口が増加しているアジア太平洋地域は経済的に繁栄していく。そういう時代を迎えつつある中で、アジア太平洋へのゲートウエーに位置する沖縄地域全体が『知の津梁(しんりょう)』となれるよう、大学としての役割を果たしていきたいと考えている」

 ―医学部と琉大病院が移転する西普天間住宅地区跡地の展開は。

 「ほかの返還跡地と同じような商業地ではなく、新しい形にしたいと考えている。先端的な医学研究と充実した地域医療の促進などに取り組む。経済活動を高める以上のことを目指したい。プロジェクト自体は国家レベルなので、国、県、宜野湾市と緊密に連携し、新しい形のモデルをつくりたい」
 (聞き手 稲福政俊)