AKBを100年先取り? 沖縄であった俳優「総選挙」とは


社会
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俳優投票を呼び掛ける1916年4月1日付の琉球新報

 2009年、アイドルグループAKB48の第1回「選抜総選挙」が実施された。いまや一般的になったアイドルへの「ファン投票」だが、それらに先駆けること約100年の1916(大正5)年。琉球新報は、当時県民を夢中にさせた沖縄芝居の俳優を対象に「ファン投票」を開催した。新聞に投票券が刷られ、1票となる仕組みで、俳優投票は大いに業界をにぎわせた。(藤村謙吾)

俳優投票の結果を伝える1916年5月2日付の琉球新報

【 1916年 紙面でファン投票・南米、ハワイからも 】 

 1879年に琉球国王に廃藩置県の通達が突き付けられた。日本政府の武力を背景にした琉球併合(琉球処分)で琉球王国が滅亡した。

 古典芸能をたしなむ士族の芸能家が市井で芸を売り始めたことをきっかけに那覇に次々と劇場ができ、1900年代には多くの劇団が結成された。

 大衆演劇としての沖縄芝居の定着と県民の芝居熱の高まりを背景に、琉球新報は1916年4月、俳優の人気投票を企画した。

 同年4月1日付(紙齢5685号)の琉球新報で投票を呼び掛け、1カ月の間に15万2292票が集まった。

 1位が中座の多嘉良朝成(6万1938票)、2位が球陽座の渡嘉敷守良(5万2672票)、3位が球陽座の真境名由孝(康)(2万2035票)、4位が球陽座の伊良波尹吉(1万1069票)だった。  当時の記事によると南米やハワイからも票が送られてきた。