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プロの壁、悩んだ末に指導者の道へ カンボジアでサッカーの楽しさ伝える 元FC琉球・宮城晃太さん <ブレークスルー>


この記事を書いた人 Avatar photo 上里 あやめ
カンボジア・クラチェ州のアカデミーチーム。中央が宮城晃太さん(提供)

 元FC琉球の宮城晃太さん(26歳、那覇西高―大阪産業大出)が昨年2月から国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊員としてカンボジアでサッカー指導に当たっている。1年間の滞在でスクールから初めてU19代表を輩出するなどカンボジアサッカーの底上げに貢献してきた。新型コロナウイルスの影響で4月に帰沖したが、まだ任期は残っており、再び当地に赴く予定。「全てがチャレンジ。ありがたいことだ」と何事にも貪欲(どんよく)な姿勢で取り組んでいる。

■楽しさを伝える

 2016年にFC琉球に入団したが、プロの厳しさに突き当たり、悩んだ末に指導者の道を選んだ。17年はFC琉球のジュニア監督、18年はユースコーチを務めた。海外でサッカーに携わることは子どもの頃からの憧れ。外国籍のチームメートとも仲が良く、海外志向が高まっていた時に青年海外協力隊員の募集を目にした。すぐに応募し、19年2月からカンボジア・クラチェ州のサッカースクールの指導に当たった。

 現地では予想外の連続だった。特に驚かされたのは専門スクールであるにもかかわらず、人数が集まらないことだ。カンボジアでは家庭の事情などで継続的に練習に参加する習慣が根付いておらず、登録メンバーは50人いたものの練習には2人しか来ない日もあった。「サッカーを生活の軸にしてもらいたい」。現状を変えようと思った。

 スクールのコーチらによる練習を1カ月間、口を出さずに見ていると「蹴って前に走るだけ」の単調な内容。練習中は待ち時間が長く、積極的に指導しようとしないコーチもいた。メニューの種類を増やして、コーチ陣にも要点を説明し、自ら練習に参加して積極的に変革を働き掛けた。ゴミだらけのグラウンドを掃除したり、用具を大切に扱うことを教えたりと心構えも教えた。

 登録メンバーも入れ替えて半年後には20人以上が常時、顔をそろえるようになった。子どもから「もっと教えて」とせがまれることも多くなったという。「学校に行けない子もいる。それならサッカーで伝えられることがある」と上達する喜びを教えた。

カンボジア・クラチェ州のアカデミーチームを指導する宮城晃太さん(右から2番目)

■次世代を育てる

 スクールで教える時間は午後。午前中はクラチェ州の教育局に席があった。しかし特にすることはなかったため「時間がもったいない」と自ら教育局のトップに働きかけて小学校の体育の授業を受け持つ機会を得た。

 カンボジアはジュニアから育てる仕組みが十分に整っていないため、学校の夏休みを利用して小学生向けのサッカースクールの開設につなげた。クラチェ州のサッカー仲間や教員から資材などの協力も得て、複数の学校の児童らを対象に週6日間指導した。

 「練習に3回来てくれたら魅力を伝える自信があった」と、3度目の参加にはユニフォームをプレゼント。夏休みの最終日には小さな大会を開き、つてで手に入れたスパイクを子どもたちに贈った。

 「一人でも多くのプロが教え子から出てくれたらいい」と原石を磨き続ける中で、U19カンボジア代表も送り出すこともできた。「体格も良かったし、何よりもサッカーが大好きだった」と練習前後も毎日一緒にボールを蹴っていた選手だ。教え子が成長し、代表になる過程をそばで見て「可能性は無限大だな」と感じた。

■カンボジアへ再び

 昨年12月、各州のサッカースクールのリーグ戦が開幕し、チームは1次リーグを突破した。新型コロナウイルスのために2次リーグで中断し、最大の目標の全国制覇はかなっていない。教育とスポーツの関係など当国のシステム上の課題も痛感し「サッカーが強くなるにはまだまだ長い道のりだ。やることはたくさんある」と見据える。

 現在は教え子とSNSでやりとりするのみだが、2年間の任期はまだ終わっていない。「カンボジアに戻って、少しでも選手たちを指導したい」と再び会える日を心待ちにしている。  (古川峻)