ジョン万次郎は琉球でどう過ごした? 構想から20年かけ「日記」を解読


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 【豊見城】琉球王国時代の1851年、ジョン万次郎らが豊見城間切翁長村(当時)の高安家で過ごした半年間を記録した「土佐人漂着日記」が、現代語訳文とともに「豊見城市史だより第14号」に掲載された。同日記が活字化されて世に出るのは初めて。浦添市立図書館沖縄学研究室専門員で歴史研究家の栗野慎一郎さん(60)が構想から約20年をかけて翻刻した。栗野さんは「市民にも関心を持ってもらえたらうれしい」と話した。

翻刻した「土佐人漂着日記」が掲載された豊見城市史だよりをPRする栗野慎一郎さん=8日、豊見城市歴史民俗資料展示室

 ジョン万次郎は土佐藩(現在の高知県)出身で14歳の時、漁で遭難しアメリカの捕鯨船に救助された。アメリカで英語や測量技術などを学び、海外で約10年間を過ごした。日本へ帰国する前に漁の先輩2人と共に琉球に立ち寄った。

 栗野さんによると「漂着日記」は琉球王国時代の尚家文書の中の一つ。万次郎らと役人のやり取りなどを首里王府の評定所の役人が記録した行政文書という。万次郎が琉球漂着について証言した記録や書物はいくつもあったが、琉球側が万次郎について公式に記録したものは世に出ていなかった。「漂着日記」には万次郎らが首里王府から1人1日7・5合の白米や草履、たばこなどの日用品を支給され、厚遇された様子が記されている。村民との接触や日本、中国、琉球についての会話を禁止するなどの記録もある。

 原本は那覇市歴史博物館に保管されており、琉大に紙焼き製本したものが所蔵されていた。栗野さんは2013年1月、琉大の紙焼き製本を基に、翻刻を始めた。くずし字で文字がつぶれた難読箇所は那覇市歴史博物館からカラー画像の提供を受けて確認し、地道に作業を進めた。19年4月には現代語訳文の作成にも着手し、完成後に豊見城市史だよりに寄稿した。

 豊見城市史だよりの編集・発行に携わる、豊見城市教育委員会文化課の島袋幸司主査(36)は「長年取り組んだ栗野さんの熱意がすごい。市民に地元の歴史を伝えられる機会になり、ありがたい」と謝意を述べた。豊見城市史だより第14号は同教育委員会文化課で無償配布している。市のホームページでPDFをダウンロードし閲覧することも可能。問い合わせは豊見城市教育委員会文化課(電話)098(856)3671。

(照屋大哲)