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重量挙げ大湾姉妹 負傷から1年、姉ゆみか復調に手応え 妹りりかは総体目指す<ブレークスルー>


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 大けがで1年間、思うような成績を残せなかった重量挙げの大湾ゆみか(19)=豊見城南高―日体大2年=が、完全復活に向け、チャレンジを続けている。トレーニング過多で左膝を負傷し、リハビリを続け、昨年12月の全日本学生新人選手権で、女子59キロ級を制するなど、復調へ確かな手応えも得ている。緊急事態宣言発令前の4月上旬に帰省し、ことしから競技を始めた妹・りりか(15)=西崎中―糸満高1年=とともに刺激し合う毎日を過ごしている。

■初めての挫折

重量挙げを始めたばかりの妹・りりかを指導する大湾ゆみか(右)=6日、糸満市の糸満高校(大城直也撮影)

 名門・日体大に進学し、初めて壁にぶつかった。昨年6月の世界ジュニア選手権の合宿で練習中に左膝半月板損傷、脛骨(けいこつ)挫傷の大けがで、数カ月間練習がままならない状態が続いた。自分で考えてメニューを組み立てる大学の練習方法に、ケアをほとんど意識しておらず、知らず知らずのうちに体が悲鳴を上げていた。「けがや疲れに気付くのが遅かった。こんなに苦しんだ1年は初めて」。自己ベストを更新したい、との思いとは裏腹に思うような成績は残せなかった。

 大学では、高校時代の恩師・平良一悦監督(現宮古監督)との約束だった、国体と世界大会出場という夢をかなえた。だが、世界ジュニア選手権は12位、負傷明けで出場した10月の茨城国体は7位といずれも自己ベスト(トータル182キロ、スナッチ81キロ、ジャーク101キロ)で臨んだ大会ではなく「目標は達成したが、ベストも尽くせずもやもやしたままだった」。

 地道な練習の結果、復調を実感したのは19年12月の全日本学生新人選手権だった。同階級の好敵手・具志堅莉奈(豊見城高―東京国際大3年)にトータル1キロ差で逆転優勝を飾った。スナッチを終えた時点で具志堅の83キロを2キロ下回った。ただ、「ジャークを確実に上げれば勝てる」と具志堅を上回る97キロを成功させ、トータル178キロで頂点に立った。

 4月に沖縄に一時帰省し、次の大会を目指して着々と感覚を取り戻している。負傷して1年たった今も左膝が痛む時もある。「大の負けず嫌い」だという大湾を奮い立たせるのは、四つ下の妹・りりかの存在だ。

■先輩でライバル

 りりかは今夏から糸満高で本格的に重量挙げを始めた。7月の県高校総体出場を目標にフォームを体にたたき込む。

 部活動の段階的な再開を迎え、6月上旬に、同校の重量挙げ部の部室で初めて、姉妹そろって練習した。「体重はもう少し後ろに」。ゆみかからの指導を受け、黙々とシャフトを上げる。時には、少しでも技術を盗もうと横でバーベルを上げる姉をじっと見つめた。

 中学から県内、国内大会で記録を残し活躍してきたゆみかをそばで見てきた。「家でも毎日練習していて、憧れもあった」とゆみかの練習に付いて行って、参加したこともある。中学ではソフトテニスをしていたが、高校は「本格的に重量挙げをやりたい」と糸満に進学。照屋智康監督は「まだ未知数だが素直で吸収も早い」と評価している。

 姉が出場した大会の動画を見ながらフォームを勉強したり、階級の相談をしたりと、りりかにとって姉は憧れの存在だ。「いつかは抜きたい」とライバル視もして、背中を追い掛ける。妹の熱心に取り組む姿勢に、ゆみかも思わず声を掛け指導する。

 大学で不調が続いていたゆみかにとって、近くで練習するりりかは特別な存在だ。記録更新がただただ楽しくて仕方なかった競技を始めたころの純粋な気持ちを思い出させてくれたからだ。「自分も頑張ろうと思えた。妹は追い込む性格なのですぐに追い付かれそうで今から怖い」。言葉とは対照的に、目尻を下げ妹との練習は続いた。

(上江洲真梨子)