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莫大な予算と時間、日本政府の見通し甘く <点検「辺野古」変更申請>1


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 米軍普天間飛行場の返還が日米両政府間で合意されたのは1996年だ。当時示された返還期限は「5~7年以内」だった。2006年の日米合意で新たに「2014年」が設定され、11年には「できる限り早い時期」と上書きされた。13年4月に合意された現行計画では「22年度またはその後」だ。返還期日は先送りが繰り返され、今に至る。

 返還条件となる名護市辺野古の新基地建設は当初、護岸建設や土砂投入など埋め立て関連工事に5年、施設整備や認証手続きに3年が見込まれていた。予定通りなら合意から9年半程度で全工程を終え、早ければ22年度には施設が完成しているはずだった。

 しかし県内の根強い反対を背景に工事は遅れ、実際に埋め立て土砂の投入が始まったのは18年12月になってからだった。さらに、大浦湾側に軟弱地盤が広がり、大規模な地盤改良工事が不可欠になることも新たに判明した。莫大(ばくだい)な予算や時間がかかり、政府の見通しの甘さを露呈する格好となった。

 防衛省が19年12月に示した試算では、辺野古の完成までに12年の期間が必要になる。普天間返還が30年代にずれ込むのは確実で、しかもこの12年は、軟弱地盤改良に入るために必要な設計変更を県が承認した時点からの起算となる。承認するかしないかを県が判断するのは、今年末以降となる見通しだ。

 県は時間がかかる現行計画が政府の言う「普天間飛行場の一日も早い危険性除去」にはつながらないとして、見直しを求め続けている。


名護市辺野古の新基地建設を巡って、政府は4月、軟弱地盤の改良工事を進めるための設計変更を県に申請した。県は近く申請内容を公表し審査に入る。これまで明らかになった問題点を整理する。