<美と宝の島を愛し>取り戻したい日本 米との距離に腐心した政治家はどこへ


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 せやろがいおじさんのYouTubeが楽しい。テーマの選び方も鋭く、良い頃合いで笑いに転じる知性はハンパじゃない。海に飛び込む熱演にケガが心配になるが、演ずるとは俳優であれお笑い芸人であれ捨て身の覚悟のアクションだ。

 日本の政治家には、この身を捨てる覚悟が薄い。カネも命も権力も何もかも欲しい、そんな欲の深い人たちが政治家なのだろう。せやろがいおじさんは面魂(つらだましい)も良い。メークとエステ、プチ整形、暮らしのゆとりからか見栄えのいい美男美女が増えたが、風雪に耐えた面魂のある顔つきは、日本人からほとんど消えた。

 記者会見で見る安倍政権の閣僚たちの風貌の甘さというか、ユルさ、政治のポピュリズムが生んだ顔だ。大臣席でニヤつきながら隣の大臣に耳打ちする姿に、政治のレベルが表れている。秋田県での地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の説明会で居眠りする防衛省役人に、「なに居眠りしてるんだ!俺たちの人生がかかっているんだ!」と一喝した天晴(あっぱ)れな人がいた。そうだ、私たちの人生がかかっている、政治には。

 突然、イージス・アショア配備停止を河野太郎防衛大臣が発表した。顔つきはどこか得意そう。国民ウケする決断で次の総理を狙うか、そんな野心が丸見えだ。反原発でいっとき名を上げたが、今は知らん顔。地位と引き替えに政治的信念を売る、この変節大臣が総理になったら安倍時代よりももっと悪くなりそうだ。麻生派の河野氏に、防衛、外務と要職大臣を歴任させた長期政権は、結局、麻生太郎副総理が動かしていたのか。河野氏は外務大臣時代に、駐日韓国大使を叱りつける場面をマスコミに撮らせたが、あれは見苦しかった。外務省発のヘイトスピーチだ。イージス・アショアの配備停止は防衛から攻撃型装備に切り替えようとしているのではないか、と強い懸念が消えない。

 アベノマスクが拙宅にも届いた。安倍家のご紋章入りか、と居合わせた人たちと冗談を交わす。紙おむつ、マスクなどの衛生用品に表示される素材名、製造者、販売者名、原産国表示がどこにもなく、マスクの信用度をさらに低下させている。アベノマスクがさらに気味悪いのは、「日本を取り戻す」という安倍総理のガーゼマスク愛好という懐古趣味にもある。ガーゼマスクが主流になったのは、第2次世界大戦中の物資不足で「愛国マスク」という名のガーゼマスクが普及したころからだ。

 連想はさらに一枚の写真に飛ぶ。2013年に宮城県松島基地の航空自衛隊で、機体番号731号のブルーインパルスの操縦席で親指を立てて見せた安倍総理の写真だ。731がかつて満州国に置かれた日本陸軍の生物兵器の開発部隊、七三一部隊と同じ数字であることは、誰でも気がつく。森村誠一の著書「悪魔の飽食」には、同部隊の細菌製造工場で、白い作業服にガーゼ7枚か8枚を重ねたマスクをかけ、白帽をつけた隊員の働くさまが描写されている。

 日本の敗戦と共に潰(つい)えた満州国の大幹部、岸信介の孫が「日本を取り戻す」と言うとき、その「日本」とはどの「日本」なのか。日清、日露戦争の勝利に乗じ、傀儡(かいらい)国家満州国を中国大陸に現出させた時代の、あの「日本」なのか。岸信介はアヘンの売買で巨利を得、生物兵器、生体解剖まで行った満州国の暗部には口を閉ざし、誉れだけを回想している。

 安倍政治とは日本の近代史の不都合な事実にフタをし、美辞を連ねて国家ナルシズムへと国民を誘導する政治だった。私たちが取り戻したい日本は、米国と適切な距離を保とうと腐心した、良識ある政治が機能していた日本だ。

(菅原文子、本紙客員コラムニスト、辺野古基金共同代表、俳優の故菅原文太さんの妻)