<乗松聡子の眼>沖縄戦の記憶 皇軍の加害性を明確に


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 5月15日、コロナ感染対策を理由に、県主催の「沖縄全戦没者追悼式典」の会場が平和祈念公園から国立沖縄戦没者墓苑に変更という県の計画が発表された直後から、県民から反対が続出、2週間後の5月29日に県は、平和祈念公園に戻す方針に切り替えた。

 反対の声は主に、沖縄戦で加害者であった国の施設において県民の追悼式を行うことへの抵抗であった。会場というならば沖縄県民が追悼の心のよりどころとしてきた「魂魄の塔」や、「平和の礎」のある平和祈念公園がある。国立墓苑は遺骨が納められているとはいえ、軍人の「殉国死」を讃える靖国神社的な全国の慰霊碑が立ち並ぶ摩文仁の丘に位置する場所で行うことにも反発があった。

 「沖縄全戦没者追悼式のあり方を考える県民の会」は6月1日に玉城デニー知事に対し、「国家の施設である国立墓苑で、沖縄戦犠牲者の追悼式をすることは、国家が引き起こした戦争に巻き込まれて肉親を亡くした県民の感情とは相容れない」との懸念を表明する、70人余の沖縄有識者の連名による要請書を手渡した。

 私は、この会場変更をめぐる議論を、県外の日本人も耳を傾けるべきものと思っている。県外では沖縄戦を、広島・長崎の原爆投下と同様に悲惨な戦争被害として記憶しがちだが、沖縄の場合は明確に、日本が強制併合した上に皇民化教育を敷き、日本の戦争に何十万もの住民を巻き込み死なせた、日本による加害戦争であったという面で異なる。

 会場問題は一段落したにしても、「沖縄全戦没者追悼式典」の会場には日の丸と県旗が献花台を挟むように左右に掲げられ、今年の安倍晋三首相のビデオメッセージでは巨大な日の丸をバックに語っており、県民の式典が「国」と一体化している印象を持たざるを得なかった。安倍首相の口から、国の沖縄戦被害に対する責任の言及や謝罪の言葉もない。

 沖縄戦追悼の営みが国側に引っ張られている光景を他にも目にしたことがある。数年前の「慰霊の日」、私は式典会場のそばにいたが、式典直後に安倍首相は、沖縄戦時の県知事だった島田叡知事を顕彰する「島守の塔」に直行した。島田知事は県民の安全のために尽力したという美談と共に語られる人だが、日本から沖縄戦の追悼に来た者がこうべを垂れる対象として、あえて島田知事を選ぶというのはどうなのか。

 「島守の塔」といえば、「慰霊の日」の早朝に、第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長を顕彰する「黎明の塔」に集団「参拝」する陸上自衛隊員も訪れている。私は以前(17年12月31日)本コラムで、牛島と長は沖縄戦だけでなく、南京大虐殺で指導的役割も果たしている戦犯であることから、摩文仁の丘の一等地にこのような「戦争を肯定し美化する」碑が存在することに異議を唱えた。

 現在、首里城地下の第32軍司令部壕の保存・公開への動きがあり、とても重要と思うが、訪れる人に、そこにいた日本軍「慰安婦」の存在も含め、沖縄戦の本質である皇軍の加害性がまぎれもなく伝わる公開の仕方を望む。第二の「黎明の塔」になってはいけないし、「黎明の塔」を問題視しないまま進めてはいけないのではないか。日本の戦争責任を重んじる観点から注視していきたい。
 (「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)