「沖縄を米が信託統治」総理府史に記述誤り


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総理府史の誤りのある「沖縄関係行政の変遷」の項

 1952年から72年の日本復帰まで沖縄は「米国の信託統治下に置かれていた」という誤りが専門書や小説などで相次いでいることに関し、内閣総理大臣官房が2000年12月に発行した「総理府史」でも同様の誤りがあることが19日までに分かった。「沖縄関係行政の変遷」の項目で「昭和27年4月28日、対日平和条約が発効し、同条約第三条により、沖縄は米国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下に置かれることになった」との記述がある。実際は、沖縄は米国の統治となり国連の信託統治には置かれなかった。

 内閣府の担当者は「重大な誤りだ」と認めた。総理府史の誤りを正す差し込み文書を、関係部署や総理府史を所蔵する国立国会図書館と沖縄県立図書館に送るとしている。

 総理府史は約50年の総理府の歩みや日本を取り巻く戦後の歴史をまとめた内容。編さん委員会が編集し内閣総理大臣官房が発行した。編さん委員会の委員長は総理府次長が務め、委員には大臣官房審議官や大臣官房総務課長、大臣官房参事官らが名前を連ねる。

 日本と連合国との間で締結された対日講和条約は3条で、米国は国連に沖縄の信託統治を提案し承認されるまで、奄美以南の南西諸島で全権を行使できると定めた。その後、米国は国連に信託統治を提案することなく排他的に沖縄の統治を続けた。

 総理府史の誤りについて、沖縄大前学長の仲地博氏(行政法)は「米国の沖縄支配の国際法的根拠は、『法的怪物』とも言われた講和条約3条だ。3条の誤解が政府刊行物に表れるということは、政府の沖縄離れを示している。今、沖縄の声が霞が関に届かない理由も見えてくる」と述べた。

(中村万里子)