嘉手納基地に戦前集落跡 兼久中原遺跡 町「貴重」、記録保存へ


嘉手納基地に戦前集落跡 兼久中原遺跡 町「貴重」、記録保存へ
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貝塚時代後期のものとみられる土器片=2018年9月13日、米軍嘉手納基地(嘉手納町教育委員会提供)

 【嘉手納】米軍が嘉手納基地内で進める第353特殊作戦群の駐機場エリア拡張工事に伴う文化財調査で、戦前の屋敷跡や貝塚時代後期のものとみられる土器が新たに見つかった。米軍や同町への取材で、遺跡などの存在が明らかになった。嘉手納町教育委員会町史文化財係の宮里知恵さんは「戦後、米軍基地に接収されたため手つかずのまま残ったのだろう。当時の生活が垣間見える貴重な発見だ」と述べた。

 米軍が2013年に実施した試掘調査をきっかけに、一帯は16年に「兼久中原遺跡」に認定された。今回の遺跡は米軍主導で17年5月~19年10月に行われた文化財調査で見つかった。発見場所は町兼久(旧小字の兼久、中原集落)周辺で、豚小屋を兼ねた便所「フール」や水溜め、石組みの内側にモルタルのような塗料が塗られた肥だめのような方形遺構など、戦前の集落遺跡が出土した。貝塚時代後期(縄文~弥生時代)のものとみられる土器片なども見つかった。

 宮里さんによると嘉手納町は大部分が戦後間もなく米軍に接収されたため、戦前の集落遺跡はほとんど残っていない。フールや石積みは記録保存し、土器片などは今後、町が引き取り一般公開する予定という。

 県教育庁文化財課の担当者は「どんな遺跡でも本来は現物保存が望ましいが、開発計画が変更できない場合は県内でも記録保存するケースが多い」と述べた。嘉手納基地の第18航空団は「文化財は沖縄の歴史上、重要なものであるため、われわれとしても嘉手納町教育委員会と密に連携し適切に取り扱いたい」と回答した。

 米軍は19年2月から特殊作戦群の駐機場エリアの拡張工事を実施している。当初の工期は約2年で21年2月ごろまでを予定していたが、文化財調査の影響で21年4月ごろまでずれ込むことになった。工事の期間中、民間住宅地に隣接する「パパループ」と呼ばれる元駐機場が使用され、周辺住民からは騒音や悪臭被害を訴える声が相次いでいる。 (当銘千絵)