「日台友好の懸け橋だった」 李登輝氏死去 沖縄を3度訪問、県内からも惜しむ声


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台湾人戦没者の慰霊祭で、自ら揮毫した石碑を除幕する台湾の李登輝元総統(中央)=2018年6月24日午後、糸満市

 30日に死去した台湾の李登輝元総統はこれまで3度沖縄を訪れるなど沖縄と縁が深いことで知られる。台湾の民主化と経済発展に尽力した李氏の死去に、県内関係者からは悲しみと別れを惜しむ声が広がった。

 李氏が初めて沖縄を訪れたのは2008年9月。糸満市の平和祈念公園やひめゆりの塔を訪問したほか、福沢諭吉の「学問のすゝめ」を題材に日本文化について講演した。

 2回目の来沖となった16年7月には石垣市名蔵にある台湾農業者入植顕頌(けんしょう)碑を訪れた。当時、李氏の来沖に関わった石垣市選出県議で「日本李登輝友の会」沖縄支部長を務める大浜一郎氏は李氏の死去について「一日でも長く生きてほしかった。石垣と台湾との交流は歴史的に長く、李登輝さんは日台友好の懸け橋だった。李さんが残した日台友好を遺言として守っていく」と語った。

 最後の来沖となったのは18年6月。李氏は糸満市の平和祈念公園で、太平洋戦争で日本兵として犠牲となった台湾人の慰霊祭に出席し、自ら揮毫(きごう)した石碑が除幕された。石碑には「為国作見証(公のために尽くす)」と刻まれており、李氏は除幕式で揮毫について「先人たちは命をもって私たちに歴史を指し示してくれた。私たち後世の人間は先人たちが示してくれた道筋と教訓によって学び、選択することができる」と語っていた。

 日本台湾平和基金会の理事長として李氏の来沖を実現させた西田健次郎氏は「李登輝元総統はアジア、そして世界のリーダーであり巨星だった。日本人以上に日本人であり、もっと指導してほしかった」と別れを惜しんだ。

那覇空港に到着し、歓迎の花束を受け取る台湾の李登輝元総統(中央)=2018年6月22日
台湾出身戦没者の名前が刻まれた場所に献花する台湾の李登輝元総統(手前)=2008年9月22日午後、糸満市の平和祈念公園