「沖縄、忘れたことない」 埼玉県副知事の宮古島市出身・砂川氏 活躍は「全員に可能性」と県出身者へエール


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 【埼玉】宮古島市出身の砂川裕紀氏(62)が今年4月、埼玉県副知事に就任した。保健医療部などを所掌し、就任早々、新型コロナウイルス対応に追われる慌ただしい日々を送る。小学校6年で埼玉へ引っ越し50年がたつが「沖縄のことを忘れたことはない」と古里の宮古島、沖縄への思いは強い。

埼玉県副知事に就き、宮古島での思い出などを語る砂川裕紀さん=埼玉県庁

 埼玉県は東京都の北隣に位置し、人口730万人を擁する。砂川さんは1982年に埼玉県庁に入った。企画財政部長や下水道事業管理者を経て副知事に就いた。「青天の霹靂(へきれき)だった。企画財政部長を2年やり、県全体を広く見る経験をしたことも(就任要因に)あるかもしれない」と語った。

 宮古島市の中心街、西里通りで生まれ育った。子どもの頃は「サッフィ」と呼ばれた浜で頻繁に遊んだといい、その光景を昨日のことのように懐かしむ。

 「都会で子育てをしたい」という親の希望で1970年に引っ越した。当時は沖縄が日本に復帰する前で、往来にはパスポートが必要だった。「沖縄の人が日本語を使っていることを分かっていない人も一部いた」と振り返った。

 埼玉県南西部の現ふじみ野市に構えた家は「宮古島出張所」と呼ばれ、仕事や受験で首都圏に出てきた親戚や友人が宿泊する場としてにぎわった。今も宮古島に親戚がおり、数年に1度訪ね交流を重ねている。

 遠く離れた沖縄の基地負担を気にかける。「国の所管だが、基地がまだまだある。沖縄県民にとっていい方向で解決できればいい」と期待を込めた。

 今年は、沖縄出身で国土交通省官僚の永山寛理氏が7月に宮崎県の副知事に就いた。スポーツや芸能などさまざまな分野で活躍する県出身者が増えていることに、「県の力が付いてきた」と語る。「私もそうだったが、島の人は引っ込み思案な所がある。可能性は全員に平等だ。勇気を持って前に進むことが大事だ」と強調。沖縄の若者の背中を押す「後押しができる仕掛けができるといい」と、古里を思う企画も考え中だ。