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課題見つめ共に成長 キングスの牧隼利、ナナーダニエル弾(上)<ブレークスルー>


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スリーポイントライン外側でボールをコントロールする牧隼利。マッチアップしているのは宇都宮に所属する日本代表の比江島慎=1月4日、沖縄市体育館

 7月に全体練習を再開し、2020―21シーズンに向けて着々と準備を進めているBリーグ1部の琉球ゴールデンキングス。躍進に欠かせないと嘱望される存在が、特別指定選手からプロ契約となった牧隼利(はやと)(22)=埼玉県出身、福岡大大濠高―筑波大出=とナナーダニエル弾(23)=神奈川県出身、横須賀学院高―青山学院大出=の同級生ルーキーコンビだ。将来的には日本バスケ界をけん引する逸材と目される2人。世代別の日本代表で共にプレーした経験もある。学生時代はそれぞれに自身の課題と向き合いながら、着実に成長を続けてきた。

■葛藤と自信

 小学1年でバスケを始めた牧。さいたま市立原山中時代には県選抜に選ばれ、いずれも名門の福岡大大濠高と筑波大で活躍。180センチ台半ばでシュートやパス、ハンドリングを高いレベルでこなす万能性を武器に、何度も全国で優勝、準優勝を経験した。順風満帆なバスケ人生に見えるが「エリートと思われるかもしれないけど、全然そう思ってない」と、本人の認識は違う。

 背景には自らのリーダーシップに対するコンプレックスがあった。高校は下級生の時から試合に出場し、2年連続でウインターカップ準優勝。2年時には全国総体で頂点に立った。

 しかし主将を務めた高校3年時、全国総体とウインターカップでいずれも初戦敗退の屈辱を味わった。「自分には主将の力量がないんじゃないか」。挫折し、葛藤した。

 筑波大でも1年時ですぐにインカレで優勝したが、主将となった3年時は4強止まり。迎えた昨冬の最終学年でのインカレ。「ここで勝てないと高校3年の時の後悔が一生残る」。闘志の火をたき付け、積極的に周囲に声を掛けてチームを鼓舞する自分なりの主将像を確立した。

 結果は優勝に加え、大会MVPを獲得。涙を流し、仲間と抱き合った。「最後の最後でチームを優勝に導けたことは、大きな自信になった」

力強いゴール下のプレーで得点を挙げるナナーダニエル弾=2月8日、豊見城市民体育館

■類いまれな才能

 一方のナナー。元は陸上の幅跳び選手で、横須賀学院中時代には神奈川県で優勝するほどのエリートだった。しかし中学2年で腰を痛め、競技を離脱。失意の中、バスケ部だった同級生の納見悠仁(現Bリーグ1部新潟所属)に部活に誘われ、「じゃあ練習に行ってみるわ」と返答。ルールも分からない中、3年生から軽い気持ちで始めた。

 しかし、陸上で鍛えた高い運動能力に加え、当時既に身長が190センチあった才能の塊は、すぐに関係者の目に留まる。数カ月後、全国から高身長選手を集めた日本バスケ協会(JBA)主催の「ジュニアエリートアカデミービッグマンキャンプ」に招集され、高校1年となった翌2013年にU―16アジア選手権の日本代表に選出。14年にはU―17世界選手権も経験した。

 競技開始から1、2年で日の丸を背負うことに、当初は「プレッシャーが大きく、動揺や葛藤があった。気持ちのつくり方が難しかった」という。しかし、同じく招集された牧をはじめ、国内外の同世代のトップ選手に食らい付き「あの時頑張れたから今がある。メンタル面でも成長できた」と振り返る。

 高校ではセンターとしてゴール下のプレーが中心だったが、大学では徐々にシュートレンジを拡大。大学3年時からキングスの特別指定選手となり、プロでも通用する体づくりを徹底した。

 もがきながら、高い向上心を胸に心身を鍛えてきた2人。キングスでさらに腕を磨き、将来的には日本代表「アカツキファイブ」の黒と赤のユニホームをまとう青写真も描く。 (長嶺真輝)