世界ウチナーンチュ大会のきっかけに ある交流会を企画した女性の思い<つなぐ島の心(上)>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
第1回世界のウチナーンチュ大会のオープニングセレモニーに出席したルイス高江洲佳代子さん(左)と娘のナンシーさん=1990年8月23日(本人提供)

 米南東部のジョージア州アトランタに暮らすルイス高江洲佳代子さん(76)は、世界のウチナーンチュ大会を開催するきっかけの一つとなった出来事に関わった。

 1985年に当時の西銘順治知事は基地問題の解決に向けて初訪米し、その際、米各地の県人らとも交流した。アトランタでは予想以上に多くのウチナーンチュが集まり、知事らを温かく迎えた。当時、交流会を企画した一人である高江洲さんは「しまくとぅばで交流を楽しんだり、サーターアンダギーなどのウチナー料理を食べたりして、(知事にとっても)いい思い出になったようだ」と振り返る。その後、西銘知事は海外のウチナーンチュと沖縄とのネットワーク作りの必要性を語り、ウチナーンチュ大会の開催へとつながっていった。

 高江洲さんは70年に久米島からアトランタに移住、半世紀がたつ。85年にはアトランタ沖縄県人会が設立され高江洲さんは初代会長に就任。90年からは県が認定する民間大使を務め、30年間にわたって沖縄の魅力をPRしてきた。

 90年の第1回世界のウチナーンチュ大会では、万国津梁(しんりょう)の鐘の除幕式に出席し、鐘を打ち鳴らした。「世界のウチナーンチュネットワークの出帆を祝う鐘の音が魂に鳴り響いた」。大会を通して世界の県人が一つになったことを感じ、感動した。大会パレードにも参加し「沿道から『お帰りなさい』と声を掛けられ、その瞬間、熱い気持ちが駆け巡った」と振り返る。

 高江洲さんはその後も大会に積極的に参加し、面識のなかった親戚ともつながり、故郷の幼なじみとも再会した。「心が温かくなり、元気をもらっている」

 高江洲さんは、来年開催予定の第7回大会も楽しみにしている。「大会の全てのイベントへの参加は時間の制約があり不可能だ。AI(人工知能)やITなどを活用し、直接足を運ばなくても楽しめる工夫をしてほしい」と期待した。 (呉俐君)
     ◇    ◇ 
 1990年の第1回世界のウチナーンチュ大会から30年。第1回大会に関わった人たちの思いを紹介する。