那覇軍港返還合意までの46年 新たな埋め立てするべき? 前提や世論に変化も


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 那覇軍港の返還合意から46年が経過し、浦添市が受け入れを表明してから19年が経過している。その後も紆余(うよ)曲折の中で、移設問題を取り巻く状況や前提が変わっている。

 軍港返還が決まった1974年。県内移設の条件が付いており、返還が進んでいなかった。95年に日米が浦添市への移設に合意した。移設先は米軍の整備・補給などの兵たん基地である牧港補給地区(キャンプ・キンザー)と近接しており、一体的に運用する狙いがあったとみられる。

 2006年には日米安全保障協議委員会で、牧港補給地区の全面返還が決まった。返還に向けた倉庫群の移転も進んでいる。牧港補給地区が返還されれば、約270ヘクタールの跡地利用が待っている。それでも新たに海を埋め立てるべきかが問われている。公有水面埋立法は埋め立てに必要な条件として、事業が適正で合理的であることを定めている。

 18年に浦添市西海岸関連道路が開通し、県内最大級の複合商業施設「サンエー浦添西海岸パルコシティ」が開業した。買い物客らが海岸沿いで夕日を眺める様子も定着している。浦添市選出の複数の県議によると、市内の世論も変化している。その県議の一人は「表立って言わないが、経済界にも埋め立てない方がいいと考えている人が出てきた」と語った。