「軍港移設は新基地ではない」「説明は丁寧に」 元浦添市長儀間光男氏インタビュー


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那覇軍港の浦添市移設について語る元浦添市長の儀間光男氏=21日、浦添市内

 米軍那覇港湾施設(那覇軍港)の浦添移設を巡り、浦添市長として2001年に軍港受け入れを表明した儀間光男氏に当時の政治状況や移設計画の是非などについて聞いた。 (聞き手・吉田健一)

 ―松本哲治市長が南側案を断念したことへの評価は。

 「評価のしようがない。松本氏は行政の継続性を無視し、一方的に南側案を出してきた。いまさら元の案に戻る。この8年間は何だったのか。私は2001年の市長選で軍港受け入れを公約に当選した。当選後、当時の翁長雄志那覇市長に呼び掛け、激論の末、軍港移設を前提に那覇港管理組合設立に関する覚書を翁長市長、稲嶺恵一知事の3者で締結した」

 ―西海岸道路の開通など時代の変化もあり、埋め立てそのものに反対する世論も広がっている。

 「議論は大いにやっていい。浦添市の海を県民に提供したいという思いで海岸の一部を埋め立て、道路を通した。西海岸道路は県経済にとって欠かすことができない西の動脈になった。サンエー浦添西海岸パルコシティの目の前は浦添市の単独事業として整備する。ここはリゾート地域として自然を全て壊すのではなく、きちんとゾーニングすることで干潟の7割程度は残ることになる」

 ―なぜ北側案なのか。

 「浦添ふ頭地先に軍港を持ってくると外防波堤とふ頭との間の水路が狭くなり、海上交通上非常に危険となる。軍港は使用頻度も少ないということで北の端に持って行くことになった。政治的側面で北側案になったわけではない」

 ―キャンプ・キンザーの返還が決まった今でも移設を進めるべきと考えるか。

 「やるべきだ。ただ市民、県民には丁寧な説明が必要だ。西海岸を国際リゾート地域にするにはどうしても海を使わなければならない。キンザー跡地だけでは中途半端となり、投資家は見向きもしない」

 ―軍港移設は辺野古と同様に新基地建設ではないのか。

 「辺野古は負の負担しかないが、軍港移設は負より益の方が大きい。県民の利益をどう確保するかの観点で考えるべきだ。軍港は新基地ではなく港湾区域内の移設だ。これは県も政府も米軍も同意したことだ」