「実行力」で辺野古強行【安倍1強政治と沖縄②】


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 「目に見える形で実行する」。沖縄政策で安倍政権が繰り返してきた方針だ。政権が自負する「実行力」は、沖縄にとっては新基地建設の強行として表れた。

 安倍晋三首相本人が来県する機会は数少なく、毎年6月の「慰霊の日」に開かれる沖縄全戦没者追悼式にほぼ限られていた。例年、追悼の言葉とともに基地返還の実績を述べてきた。特にキャンプ瑞慶覧(フォスター)の西普天間住宅地区返還については2012年の首相再就任以降、安倍首相が追悼式であいさつした8回のうち4回で跡地利用の進展に言及した。

 安倍政権が実績に挙げるのは、普天間飛行場所属KC130空中給油機の山口県移駐や、北部訓練場、フォスターの部分返還などだ。これらは1996年の日米特別行動委員会(SACO)の合意に基づいている。この合意は施設の返還予定の多くに県内移設条件が付くなど、基地負担の県内たらい回しが前提になっている。

 実際、沖縄には全国の米軍専用施設の約70・3%がいまだに集中する。米軍駐留に関連する事件や事故も後を絶たない。2016年4月には元海兵隊員の米軍属が本島中部の女性を暴行し殺害する事件が発生した。その年は安倍首相も追悼式典のあいさつで成果の強調を抑え、事件の再発防止に触れた。

 航空機事故では、名護市海岸へのオスプレイ墜落(16年12月)、東村高江での大型ヘリ炎上(17年10月)があった。同12月には宜野湾市の保育園と小学校に部品落下が相次いでいる。

 安倍政権の物事を進める「実行力」は、特に米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設で顕著だった。工事前の環境影響評価や埋め立て承認申請を経て着工にこぎ着けた。県内の反発を一顧だにせず、軟弱地盤の改良に向けた設計変更手続きを進めた。

 沖縄に対して振興策の「アメ」と基地建設の「ムチ」を使い分け、態度を変節させながら県内移設を認めるよう迫ってきた。13年、当時の仲井真弘多知事に普天間飛行場の「5年以内の運用停止」を約束。仲井真氏は辺野古移設とは切り離して実現するよう求めた。

 だが翁長県政に代わってからは取り組む姿勢を見せず、19年2月に「5年」の期限が切れている。政府は辺野古移設と結び付けて県の協力が得られないことが原因だと主張した。「できることは全て行う」と繰り返してきた言葉は「辺野古移設を受け入れた場合」という条件付きだったことが露呈した。

 2度の知事選など主要な知事選では新基地建設反対を掲げる候補が勝利し、19年の県民投票でも約7割が反対に投じた。だが安倍政権は工事を止めず、県民との溝は深まる一方だ。

 玉城デニー知事は8月28日の記者会見で、安倍政権の7年8カ月を振り返って「(県民に寄り添う、県民投票の結果を真摯(しんし)に受け止めるとの発言は)言葉だけなのかな、という印象を拭えない」と指摘した。  (明真南斗)