「菅首相」と沖縄 気になる人脈 どうなる辺野古、経済振興


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 16日に菅新政権が誕生する。新首相となる菅義偉氏は、官房長官時代から負担軽減相も務めるなど沖縄との関わりは深い。辺野古新基地建設、沖縄振興、県内政局への影響はどうなるのか。これまでを振り返りまとめた。(東京報道部・滝本匠、知念征尚)

自民党総裁選で新総裁に選出され、自席から拍手に応える菅義偉氏=14日、東京都のグランドプリンスホテル新高輪

 

 次期首相となる菅義偉官房長官は、安倍内閣で沖縄基地負担軽減担当も兼務し、名護市辺野古の新基地建設や、東村高江周辺のヘリコプター発着場(ヘリパッド)新設と米軍北部訓練場の返還などを主導した。安倍晋三首相に代わって官邸主導の象徴として沖縄政策を推し進めてきた。

 米軍普天間飛行場移設には危険性除去との二者択一を迫る形で「辺野古が唯一の解決策」を繰り返し、選挙や県民投票で何度も示されている「新基地ノー」の民意を無視する形で埋め立て作業を強行している。首相としても辺野古新基地建設を引き続き推進していく方針を示している。さらに菅首相の誕生は、その独自の県内人脈により今後の沖縄の選挙情勢にも影響を与える可能性がある。

 

埋め立てや護岸工事が進められる新基地建設現場=3日午後、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸(小型無人機で撮影)

辺野古「理不尽」を一蹴

 沖縄の歴史認識を巡っても独自の見解を示してきた。2015年にあった普天間飛行場の移設を巡る県と政府との集中協議で、当時の翁長雄志知事が戦後の米軍による強制接収で普天間飛行場が形成された上、辺野古の代替施設受け入れを迫られることを「理不尽」と訴えたことに対し、菅氏は会見で「賛同できない。戦後、日本全国で、悲惨な中で、皆さんが大変苦労されて今日の豊かで平和で自由な国を築き上げた」と述べた。これに対しては沖縄の戦後史を研究してきた専門家から、日本と沖縄の戦後史は同質ではないと批判が上がっていた。

 本来は沖縄担当相が所管する内閣府の沖縄担当部局にもにらみをきかせる。焼失した首里城の国による再建を主導したほか、毎年の沖縄関係予算が「長官案件」として扱われ、予算要望に訪れる首長らの訪問先としても重視されており、沖縄振興面でも影響力をもってきた。

 

当時の翁長雄志県知事と初会談に臨む官房長官の菅義偉氏(左)=2015年4月5日、那覇市

翁長氏を冷遇、玉城知事との対話は

 辺野古新基地建設の反対を掲げて当選した翁長前知事とは、普天間飛行場移設問題を巡って厳しく対立した。辺野古移設について「粛々と進める」との言葉を繰り返し、翁長氏から「上から目線の『粛々』との言葉を使えば使うほど県民の心は離れ、怒りは増幅する」と非難される場面もあった。翁長氏の前任者で、当初は県外移設を掲げながら沖縄関係予算の措置を受けた後に埋め立て承認をした仲井真弘多氏に対する対応とは対照的だった。

 もともと仲間内の元自民県連幹事長だった翁長氏の「辺野古ノー」は〝裏切り〟ともいえ、それゆえに強い反発心があったとされる。新基地建設の埋め立て承認取り消しなどを巡る国と県の訴訟に関しては、菅氏は「法治国家」を繰り返して政府姿勢の正当性を強調してきた。玉城デニー知事になって、翁長氏ほどの冷遇ぶりはないものの、辺野古新基地への反対姿勢から沖縄側が求める対話は続いていない。

 

米軍北部訓練場の過半返還の式典にケネディ在日米大使(左)らと出席した菅義偉官房長官(右)=2016年12月22日午後4時45分、名護市の万国津梁館

負担軽減と「リンク論」

 官房長官会見では何度となく、辺野古推進の政府方針への反対が沖縄県内に根強いことへの政府姿勢を質問してきた。これに対して菅氏は「普天間飛行場の危険除去や辺野古移設に関する政府の考え方、沖縄の負担軽減に対して目に見える形で実現をするという取り組みについて、丁寧に説明し、地元のご理解、ご協力を得られるようにしていきたい」と「丁寧に説明」を繰り返してきた。だが、どこまで「丁寧」になされているだろうか。「沖縄基地負担軽減担当」大臣として、那覇空港第2滑走路増設などを成果に上げた。「基地問題対応と振興策を総合的に推進する。その意味で両者はリンクしている」と基地問題と沖縄振興のリンクについても言及している。2021年度で期限を迎える沖縄振興特別措置法や沖縄振興計画に向け、この「リンク論」の姿勢がどのように影響するのかも注視される。

 基地負担軽減には、北部訓練場の部分返還を強力に進めた。2016年12月の返還式典には自ら沖縄へ赴き、ケネディ駐日米大使とともに参加して内外に負担軽減の取り組みをPRした。しかし返還の条件となったヘリコプター発着場(ヘリパッド)新設工事を急いだためか、周辺工事が現在も続いている。

 

沖縄めぐる人間関係

 普天間飛行場の返還を米側との間で決めた橋本龍太郎元首相を支えた梶山静六元官房長官を師と仰ぐ。梶山氏は返還合意後、県内移設の沖縄との合意を模索する中で、政府と沖縄とを仲介した元国土事務次官の下河辺淳氏への書簡で、移設先が沖縄以外だと「必ず本土の反対勢力が組織的に住民投票運動を起こす」と本土側の反発を恐れ、名護市辺野古を移設先とする理由を記していた。首相となる菅氏に師の思いはどう引き継がれているのだろうか。

左から下地幹郎氏、島尻安伊子氏、安慶田光男氏、平良朝敬氏

 菅氏は当選同期の下地幹郎衆院議員と親しいとされる。落選中の島尻安伊子元沖縄担当相の政治資金パーティーで毎年公演するなど関係が深い。島尻氏を巡っては参院選落選後も沖縄担当相の大臣補佐官に起用して注力し続けている。

 さらにオール沖縄形成を主導して翁長県政で副知事を務め、教員採用口利き疑惑で辞任したがオール沖縄勢と路線を異にする政治集団「21令和の会」の立ち上げに関わった安慶田光男氏とは、同じ令和の会の平良朝敬かりゆし会長とともに関係を継続して深めており、県内政局への影響にも注目が集まる。