本当に哀れなもんだ 言葉を刻む(10)


この記事を書いた人 Avatar photo 大城 周子

数合わせのように農村から多くの者が戦地に行かされた。本当に哀れなもんだ。

岩手県遠野市、菊池茂さん

 

 農家の跡取りだった父萬慶(まんけい)さん(1945年に47歳で死去)が盛岡の陸軍部隊に召集されたのは43年10月。忍耐強く忠誠を尽くす東北の農民兵士は「国宝師団」ともてはやされたが、実態は違った。

 無線の指導係として弘前の陸軍部隊に配属された茂さんは、若者が10日間程度の訓練で次々と戦地に送られるさまを目撃した。銃の扱いもろくに分からない農民が急造の兵士に。父の死を知らされたのは終戦後だった。

 戦病死したというが、詳しいことは分からない。盛岡の寺で渡された骨箱の中には、青みがかった砂が入っているだけだった。

 (2015年2月26日、岩手日報掲載=当時92歳)