きょう「ヤンバルクイナの日」 発見40年、地域で守り続けた環境 一時700羽→1500羽に


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生きたヤンバルクイナを間近で見られるヤンバルクイナ生態展示学習施設=8日、国頭村安田

 9月17日は国頭村議会が制定し、語呂合わせで「ヤンバルクイナの日」。国の天然記念物ヤンバルクイナが1981年に国頭村で捕獲され、新種記載からことしで40年となる。2005年には推定個体数700羽程度まで減り、絶滅を危惧する非常事態宣言も出された。国や県のマングース対策なども奏功して個体数はここ数年1500羽程度まで回復し、東村や大宜味村でも鳴き声が聞かれるようになった。その成功には、国頭村安田区の存在が大きい。

 安田にある生態展示学習施設。赤いくちばしと黒い羽根、丸っこいニワトリほどの大きさのヤンバルクイナ「クー太」がガラス越しに来館者の方へ歩み寄る。野外での観察はまれなため、間近で見てもらおうと村と環境省が13年設置した。安田に拠点を置くNPOやんばる・地域活性サポートセンターが運営し、ほぼ区民が実働を担う。

農道に現れたつがいのヤンバルクイナ=2月、国頭村(又吉康秀撮影)

 受け付けやガイドをはじめ、クー太が暮らす観察ブースの植栽も区民が自ら設計し、森から草木を移植した。「地域の森を自分たちが一番知っている。業者任せにできない」。NPOの比嘉明男理事長の言葉に自信と誇りがにじむ。

 安田を含む本島北部はかつて、まきや建材を山から切り出し、暮らしの糧を得た。その伊部岳に米軍が実弾射撃訓練をしようとした1970年、安田区民は発射台にしがみつき、着弾地に座り込んで命の山を守った。バブル期には数十ものホテル建設の打診もあったが、自然を守る厳しい条件を付けると計画は一つも残らなかった。「先輩方が守ってきたものを残し、後世につないでいかんと」。比嘉さんが強調した。

 2002年、安田区は猫の室内飼育などを定めた独自の飼養規則を作り、全国でも画期的と言われた。談論風発する飲み会で自然に生まれたという。比嘉さんが「地域が賛否で割れてはだめ」と言うように、多数決ではなく全会一致を目指して粘り強く話し合う中で、多くの住民が「自分ごと」として参加する土壌が養われた。安田ではヤンバルクイナの救急救命センター、シェルターなどの活動が始まり、区から村、県、国が関わる事業に発展した。

 ヤンバルクイナの保護に共に取り組む、NPOどうぶつたちの病院沖縄の長嶺隆理事長は安田区の地域力の源として「話し合って決める民主主義が根付いている。安田区がなければ今の回復はなかった」とかみしめた。

(黒田華)