NPO法人ちゅらゆい代表理事 金城隆一さん 「一番しんどい子」のために 居場所づくり奮闘 藤井誠二の沖縄ひと物語(19)


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 金城少年は、中学の校長室へパジャマにしていたTシャツとスェットパンツという出(い)で立(た)ちで出向いた。卒業式を直前に控えた時期。生活指導の教員が見るなり、「なんや、そのかっこうは!」と文句を吐いた。彼は中学2年時から自分の意思で「不登校」を続けていたが、校長が「春休みの2週間だけ来たら卒業証書を交付する」と提案してきたのである。つまり、アタマを下げたら温情で特別扱いにしてやろうということだ。

 「だったら、いりません」。

 金城少年はその提案をあっさり蹴り飛ばした。

本棚に並ぶ寄贈品の書籍や漫画本と金城隆一さん=8月12日、那覇市牧志のちゅらゆい本部kukulu(ジャン松元撮影)

元祖不登校児

 「ぼくは元祖不登校児だったんです。親は口うるさく学校に行けと言ったが従わなかった。当時、登校拒否は子どもの問題行動と決めつけられる風潮が強くて、学校は児童相談所に相談することを親にアドバイスして、いつもにこにこ笑っているケースワーカーが担当になった。校長室に行ったのもその人が話をつけたからなんですが、嫌々だったんで、だからパジャマで行った」

 そう言って金城さんはからからと笑った。なぜ不登校を?との私の質問には、「なんだろうなあ。学歴社会のレールに乗って、誰か蹴落としながら大学進んで、その先に何があるんだろうという漠然とした不安ですかね。小学校のときにはいい仲間がいたんですが、中学でスクールカーストがあり、この中で生きていくのも耐えられなくて避難した感じもあるかな」と当時を振り返った。

 沖縄で生まれ育ち、小学校3年生から家族で大阪で暮らした。沖縄ルーツで大阪生まれの母が先に大阪に戻り、沖縄育ちの父親はあわててあとを追い、けっきょく家族で大阪に移り住んだ。20代前半に沖縄へ戻るまで、大阪にいたから今でもイントネーションは関西弁。

 けっきょく中学を卒業しなかった金城さんは、夜間中学で中学の卒業資格を得て、通信制の高校で学ぶ。不登校時代は新聞配達をしながら、大阪府内のいくつかのフリースクールにも出入りした。

 「どこか居場所をさがしてもがいていたんでしょうね。当時のフリースクールで出会った、学校だけで人生決まらないという価値観を共有できた子や大人との出会いがぼくの原点の一つになっています。20代前半に沖縄に帰ってきて授産施設のようなところでスタッフとして働いていたのですが、いったん大阪のお世話になっていたフリースクールに常勤スタッフとして戻り、数年で沖縄に戻ってきたんです」

補足できない子

真剣な表情でスタッフとミーティング中の金城隆一さん=8月12日、那覇市牧志のちゅらゆい本部kukulu(ジャン松元撮影)

 「kukulu(ククル)」は沖縄で「こころ」という意味。一般的なフリースクールが実践している学習支援的な要素は薄く、あくまでも子どもたちに「居場所」を提供することが活動の中心だ。開設は2013年で、中高生の不登校生徒の「居場所」として那覇市牧志のアーケード通りの古びたビルの一角にある。

 「kukulu」は「学習支援」とは対極的な位置にあり、あくまで中高校生を対象にした「居場所」として機能している。月謝は原則としてとらない。「子どもの貧困率」が日本でいちばん高い沖縄で、行政の目が届かない「いちばんしんどい子どもたち」へ向けて金城さんたちは手を伸ばそうとする。

 「うちは行政とタッグを組んでやっていますが、行政は生活保護家庭などは捕捉できるのですが、生活困窮世帯―生活保護を使っていない家庭―の補足ができません。また、私たちがターゲットとしているのは教育や福祉の行政のケアから漏れてしまっている、ひきこもっている子とか、性風俗で厳しい環境で働いている困窮家庭の子とか、若年妊産婦とか、少年院から出てきた子たちとかです」

 学校等の関連機関で講演やメディアを通じて「kukulu」の活動を周知してもらい、さまざまなチャンネルを通じて子どもとつながる。

 「来てる子どもたちを見ていると完全にエネルギーが枯れていると感じます。家庭の状況のしんどさも影響しているので、こちらの刺激にも反応がない子が多い。ここに定着できるかより、来るまでがたいへん。訪問支援もしますが、強引にひっぱるやり方は反対です」

生まれる希望

 現在、「kukulu」には、約60人の子どもたちが登録しており、それを12人のスタッフで対応する。子どもたちはゆんたくをしたり、ゲームをしたり、漫画を読んだりして、好きなことをして過ごす。もちろん「独りで居る」こともできる。みんなでご飯を作る調理活動は賑(にぎ)やかだ。「安心を提供すると、自分の肯定感が出てきて、やりたいことなどの希望が出てくるんです」と金城さんは胸を張る。厚生労働省のデータでは、長期的にひきこもってしまう若者の7割程度が不登校を経験していることから、金城さんの15歳以上の「居場所」づくりは功を奏していると私も思う。

 金城さんと若年妊娠の話になった。「沖縄は若年妊娠と出産、その結果としての婚外子が日本でいちばん多いのに、大人はまず否定から入るでしょう」と怒った口調で真顔になった。「本当なら託児所に子どもを預けて学べるようにサポートする体制も日本一であるべきなのに日本は高校を退学させられたりする。とくに沖縄はしんどい状況に置かれているシングルマザーの多さも日本一なのに」。「金城少年」は今も怒っている。

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

きんじょう・たかかず

 1973年生まれ。沖縄生まれの大阪育ち。自らも14歳で不登校を経験し、19歳から不登校やひきこもりの青年に関わる仕事を始める。2010年にNPO法人「ちゅらゆい」で働き始める。13年に那覇市の委託事業で不登校の居場所「kukulu」をスタートするが、15年に委託事業が終了。その後は市民や企業から寄付を募って居場所運営を継続する。ひきこもっている子どもたち=当事者にとって心身ともに「kukulu」が安心できる「居場所」となり、さまざまな活動を通して「自分らしく社会参加する」ことをモットーにしている。

 

 

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。