「次の世代のために」フリーライター浦島さん 辺野古での抗議活動、継続誓う


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「人と人とのつながりを大切にして反対を続けたい」と話す浦島悦子さん=21日、名護市辺野古

 【名護】鹿児島県出身で1998年から名護市三原に住み、フリーライターとして「辺野古 海のたたかい」や「島の未来へ」などを著してきた浦島悦子さん(72)も、辺野古海岸テント村の座り込みに参加してきた。かつて沖縄市で暮らし、宜野湾市で働いた経験から「爆音や子育て環境など、基地は確実に住民生活の負担になっている」と肌感覚で知った。「結果はどうなろうとも、次の世代のために反対し続けたい」と決意を新たにした。

 戦争体験者への聞き取りのほか、ベトナム戦争当時のすさんだ米兵たちによる事件・事故に巻き込まれながらも、泣き寝入りを強いられた住民らの話などを聞き「新たな基地は造らせない」と誓った。「1997年の名護市の住民投票で『反対』の民意が示されたことで移設計画も頓挫したと思ったが、そうはならなかった」と唇をかむ。

 2004年のボーリング調査では、カヌーで海上抗議行動に参加し、沖縄防衛局が設置したやぐらにしがみつくなどして抵抗した。市民と作業員は連日対峙(たいじ)したが、次第に会話が生まれ、現場では作業が強行されることはなくなっていった。浦島さんは「14年の工事再開では、政府は前回の反省を踏まえたのか市民と作業員が接することがないようにした。16年前は中立だった海上保安庁の職員に市民の排除をさせた」と話す。

 浦島さんは「仕事として命じられて私たちを排除しているが、海保も警察も作業関係者も、無理やり土地を奪われた沖縄の歴史を繰り返してほしくないという思いは同じはずだ」と述べた。