きょう100歳の誕生日 何でも食べて健康「身の回り、全部自分で」 八重瀬の知念さん


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知念綱輝さんの敬老祝いを喜ぶ(前列右から)長男の則夫さん、知念さん、長男嫁の佐智子さん、(後列右から)三男の孝昌さん、次女の幸江さん、次男の誠浩さん、長女の輝子さん=21日、八重瀬町字富盛

 【八重瀬】八重瀬町字富盛に住む知念綱(こう)輝(き)さんの100歳を祝い21日、国と沖縄県から表彰状と記念品が贈られた。国からは新垣安弘町長が代理で手渡し、玉城デニー県知事からはビデオメッセージと共に県高齢者福祉介護課の職員が代理で贈呈した。

 知念さんは大正9(1920)年9月25日富盛で生まれ、大正・昭和・平成・令和と4時代を生き抜いてきた。とりわけ戦中、戦後は苦労を重ねたという。召集されてマーシャル群島の飛行場の整備に着任。激戦の中、米軍の捕虜となりハワイ・アメリカで1年半過ごすこととなった。帰国後は軍作業・農作業などいろいろな事業をしながら3男2女を育てた。今では孫15人、ひ孫14人の大家族だ。

 好きな食べ物はそば、オムライスだが、何でも食べる。酒は飲めずビールも飲んだことがない。タバコは若い頃吸っていたが、胃潰瘍になったので40歳でやめた。「ドライブに行くのが一番好き」と笑った。

 長寿の秘(ひ)訣(けつ)は好き嫌いなく何でもよく食べること。好奇心が旺盛で新聞は毎朝4時に起きて隅々まで読む。特にスポーツが好き。70歳まで畑仕事をしていた。今はパークゴルフに夢中だ。パークゴルフは「足も使うし、頭も使うので皆さんもやりなさい」と勧めた。

 「介護を受ける必要がないほど身の回りのことは全部自分でできるし、足腰もしっかりしていていまだにつえを使ったことがない」と家族は話す。介護を受けたことは一度もないが「介護保険料はずっと払っている」と自負した。

 記念品贈呈式のあとは、孫たちが用意したケーキで数日早い100歳の誕生日を盛大に祝った。

(喜屋武幸弘通信員)