西中製糖場 模型で再現 城辺出身・久貝さん 「島の産業遺産」


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 【宮古島】島の宝、後世に残したい―。宮古島市城辺出身の久貝英世さん(71)=那覇市=がこのほど、昭和初期に旧城辺村(現・宮古島市城辺)の農家が同村に建設した製糖工場「西中共同製糖場」の100分の1スケールの再現模型を完成させた。同製糖場は沖縄戦中に旧日本軍に接収され解体されたため、現在は煙突1本が残るのみ。久貝さんは「煙突には弾痕も残っている。戦争遺跡かつ島の産業遺産だ。全体像を形に残さないと消えてしまう。78年前にこんな立派なものがあったと知ってもらいたかった」と話した。

完成した模型を前に歴史を説明する久貝英世さん=9月24日、宮古島市の琉球新報社宮古支局

 久貝さんによると、西中共同製糖場は1942年に旧城辺村西中と西西集落の農家が組合を結成し、建設した民間の製糖工場とされる。沖縄戦で旧日本軍が司令部や壕造りの建築材に充てるため接収し解体したので、わずか3年ほどの操業だったとされる。製糖場内に煙突2本、貯水池も備えており、かやぶきが多かった時代に瓦屋根の立派な建物だったという。

 久貝さんは「瓦も沖縄本島から職人を呼んで作ったと言われている。当時の最先端の建物だった」。現存する「旧西中共同製糖場煙突」は2012年に国の登録有形文化財に指定された。宮古島の製糖業を象徴する煙突で、県内でも希少な昭和初期の製糖工場の遺構だ。

 模型は資料集めから始まり、設計図起こしも含めて足かけ7年かかった。きっかけは久貝さんの小学生時代の恩師から託された思いだという。「製糖場の写真と資料を渡されて、なんとか形にしてほしいと。やるしかないなと決意した。完成を待たず亡くなられてしまったのが悔やまれる」と振り返る。久貝さんは模型の寄贈先も探している。「できれば公の施設で展示してもらって多くの人に見てもらいたい」

 次の目標は製糖工場の現物の再現だ。製糖の歴史を学び、黒糖作り体験や宮古馬との触れ合い体験ができる施設に整備する。「城辺地域は人口減少が続いている。雇用の創出と観光誘客にもつながる。ふるさと活性のためにも実現したい。戦争で壊したんだから本当なら国に再現してもらいたいけどね」と笑った。

(佐野真慈)