柿崎明二首相補佐官 沖縄の民意理解する記者<佐藤優のウチナー評論>


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 政府は、9月29日の閣議で、首相補佐官に共同通信社前論説副委員長の柿崎明二氏(59)を充てる人事を決定した。10月1日付で就任し、政策の立案と検証を担うことになった。柿崎氏は、同月30日付で共同通信社を退職した。

 〈首相官邸によると、国会議員を経ずに報道機関出身者が首相補佐官に就任するのは初めて。/加藤勝信官房長官は記者会見で「これまでの知識、経験を踏まえて政策全般について評価、検証、改善すべき点を必要に応じて首相に進言を行っていただく」と述べた。/柿崎氏は秋田県出身で早大卒。毎日新聞社を経て1988年に共同通信社入社。2019年から論説副委員長。9月16日から総務局付〉(9月29日本紙電子版)。

 一部のスポーツ紙や週刊誌で、柿崎氏に対する攻撃が始まっている。もっともその内容は、柿崎氏は、安倍前政権を批判的に論じていたのに変節したであるとか、酒席での行状が好ましくないとかいった類いの印象操作の域を出ない。このような攻撃は、フェアでない。筆者は、外交官時代、柿崎氏の取材を何度も受けたことがある。真実を知るために徹底的な取材を行い、それを報道するという姿勢を崩さない記者だった。筆者は外交秘密の漏洩にならないぎりぎりのところまで柿崎氏には、北方領土交渉の実情について説明した(業界用語では、オフレコバックグラウンド・ブリーフィングという)。

 筆者が知る範囲で柿崎氏がオフレコを破ったことはない。1997年、秋にこんなことがあった。筆者は、首相公邸(首相の居住区)に呼ばれ、同年11月のクラスノヤルスク(西シベリア)での日ロ首脳会談におけるエリツィン大統領の出方について、筆者の見立てを橋本龍太郎首相に説明した。このときの説明が橋本首相の意思決定に大きな影響を与えたと思う。説明が終わったところで橋本氏は筆者に「上手に消えろ」と言った。

 首相秘書官の後をついていくと狭い廊下の突き当たりに扉があった。秘書官は「ここから出れば、誰にも見られずに、官邸(首相が公務を行う区域)に出ることができます。玄関までの道筋は分かりますね」と言った。筆者は「分かります」と答えた。扉を開けて官邸に出た。

 誰もいないと安心して、玄関の方に向かうと、後ろから「佐藤さん、何をやっていたの」と声を掛けられた。柱の陰で柿崎氏が待ち伏せしていた。嗅覚のよい柿崎氏は、日ロ関係で何かがあり、裏の説明が公邸で行われると読んで、昼休みに橋本氏が公邸に移った時間は、いつもこの柱の陰で人の動きを観察していたのだと思う。

 筆者が「柿崎さん、勘弁して。今回は借り」と言うと、柿崎氏は「分かりました。しかし、話せるようになったときは、本当のことを教えてくださいね」と応答した。

 こういう記者は手ごわい。柿崎氏は政府や外務省に阿(おもね)るタイプの記者ではなかったが、政治家、外務官僚は大切にした。記者としての能力が高いからだ。

 筆者は沖縄の米軍基地問題について柿崎氏と話をしたことはない。しかし、過去の柿崎氏の報道姿勢に鑑みた場合、沖縄の民意については正確に理解していると思う。柿崎氏が首相補佐官に就任したことによって、沖縄と中央政府の権力中枢部との情報ギャップは縮まると見ている。

(作家・元外務省主任分析官)