圧倒的強さで金へ オハイオ州立大で開花 ヨシノブ・オヤカワ<沖縄五輪秘話6>


圧倒的強さで金へ オハイオ州立大で開花 ヨシノブ・オヤカワ<沖縄五輪秘話6>
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 羽地出身の両親を持ち、ハワイの大自然の中で育ったヨシノブ・オヤカワは水泳と出合う。ヒロ高で背泳ぎを開始。ハワイレコードを記録するなど、頭角を現しだした気鋭のスイマーは1951年、米大学競泳界の名門オハイオ州立大に進学した。翌年にはヘルシンキ五輪の100メートル男子背泳ぎで金メダルを獲得する。一足飛びで世界の頂へと駆け上がった背景には、日常的にトップ選手としのぎを削る大学の好環境があった。

肉体強化で体格差克服

 大学では働きながら奨学金を得て学ぶ「ワーキングスカラシップ」を活用していたため、水泳部のマイク・ペップ監督に紹介された州立財務局の業務も手伝っていた。「授業、練習、仕事を全てこなしていて、きついスケジュールだった」。故郷ハワイから7000キロ以上離れた地で、独り多忙な日々を送った。

 「特にフィジカル面は強くした」と、小柄という弱点を補うために強みであるキック力と腕、肩の強さにより磨きをかけた。52年に入り、全米の主要大会を初制覇。ニューヨークであったヘルシンキ五輪の国内予選では、大学の先輩で背泳ぎの当時の世界記録保持者だったジャック・テイラーらを抑え、1位で代表の座をつかみ取った。

 当時まだ1年生。「自分でも本当に驚いた。先輩たちを負かせたことは自信につながった」と振り返る。周囲は大柄な選手ばかり。よく「ちっちゃいスイマー」と形容されたが、試合の度に「絶対勝てる」と自らを鼓舞し、精神面でも強さを増した。「コーチや仲間に恵まれ、切磋琢磨(せっさたくま)して成長することができた」

 同年夏、迎えたヘルシンキ五輪の本番。競泳大国米国で一気にトップ選手へと駆け上がった寵児(ちょうじ)の初の大舞台。「当時の自分は独走状態で、自信があった」。予選、準決勝と続けて大会記録を更新し、8月1日の決勝まで圧倒的な強さで勝ち進んでいった。

大会新を連発、完全優勝 表彰台で屈託ない笑顔

水しぶきを上げながら豪快な泳ぎを見せるオヤカワ (ロドニー・イネフクさん提供、撮影年不詳)

 1952年8月1日。他を寄せ付けず勝ち上がってきたヘルシンキ五輪の100メートル男子背泳ぎ決勝の舞台。レース前、いつものルーティンに入る。心を静め、レース展開を思い描く。意識したのは豊富なスタミナを生かした「ネガティブスプリット」と呼ばれる戦略だ。「最初の50メートルはゆっくり泳ぎ、帰りの50メートルでスパートをかける」。ヨシノブ・オヤカワは大観衆に迎えられ、競泳会場に足を踏み入れた。

後半でスパート

 入水し、壁のバーをつかんで上半身を丸める。付いたのは4レーン。号砲と同時に、ファイナリスト8人が一斉に水面へ飛び出した。短距離ならではの激しい水しぶきの中、前半はほぼ横一線。わずかな差で3番目で50メートルをターンした。

 ここから推進力を増し、頭一つ抜け出す。両隣のジャック・テイラーと欧州王者のジルベール・ボゾン(フランス)も粘る。しかしさらに加速したオヤカワが終盤に差を広げ、トップでゴールの壁をタッチ。タイムは1分05秒4。前日の準決勝で記録した大会新をさらに0.3秒更新する完全優勝だった。

 自信を胸に臨んだが、弱冠18歳での偉業に「信じられない気持ちだった」という。じわじわと達成感がこみ上げ、表彰台では屈託のない笑みがこぼれた。あれから68年。画面越しに取材に応じるオヤカワが振り返る歓喜の瞬間は昨日のことのように生き生きとしている。「同郷の選手から『ヨシ、マウナケア山(ハワイ島にある火山)がついに噴火したな』と言われたことを鮮明に覚えているよ」と優しい表情に笑顔を浮かべた。

世界記録の更新

現役時代のヨシノブ・オヤカワ。腕や足の筋力が著しく発達しているのが分かる(提供、撮影年不詳)

 五輪後も米大学界のタイトルを総なめにするなど、強さを発揮。53年4月には米国を中心に行われた背泳ぎ100ヤード(約91メートル)で世界記録を更新した。

 その存在感は、全米から集まったエリートの中でも際立っていたようだ。同(昭和28)年6月22日付、琉球新報朝刊の「こども版」というコーナーに、オヤカワの活躍を紹介する記事がある。文中には多くの五輪選手を生んだ名門オハイオ州立大のマイク・ペップ監督の称賛のコメントが載っている。

 「スピードを必要とする時にストロークをトップに切り替える彼の腕には絶えず感心させられた。彼ほど楽しそうに見える選手を見たことがない。信じられない力を持っている」。こうも続けた。「日系選手は背泳ぎには背が低いため、肩と腕に力が十分ないのでハンディキャップがあると聞いていたが、これはナンセンスである」

 類いまれな才能を余すことなく開花させたオヤカワ。スイマーとしての絶頂期を迎えていた。

(敬称略)
(長嶺真輝、当銘千絵)