10・10空襲で沈没した日本海軍潜水艦「迅鯨」、中村さんらが犠牲者を追悼


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10・10空襲で撃沈された「迅鯨」の鎮魂碑で当時の状況を語る中村英雄さん=10日、本部町

 【本部】1944年10月10日の10・10空襲から76年となった10日、空襲で本部半島と瀬底島の間に沈没した日本海軍の潜水母艦「迅鯨(じんげい)」の乗組員救助に携わった中村英雄さん(90)=同町健堅=が自宅近くの鎮魂碑で犠牲者を悼んで手を合わせた。関係者数人も集い、焼香するなどして静かに追悼した。

 当時、「迅鯨」は本部半島と瀬底島の間に停泊し船体を修理していた。米軍機の攻撃を受けて沈没し、船体の周囲は船から漏れ出た油で黒く染まったという。乗組員135人が犠牲になった。

 中村さんは当時14歳。サバニで海にこぎ出し、生存者を救助して対岸の瀬底島に運び続けた。沈没地点と島を20~30往復する間も米軍機の機銃掃射は続いていた。乗組員約数十人を救助した。中村さんは日本海軍でパイロットを養成する「予科練」を志願していた。「当時は『弾の中に飛び込んで、ばかではないか』と言われたが、一人でも助けたい気持ちで必死だった」と振り返る。

 鎮魂碑での慰霊祭は空襲から70年となる2014年に終了した。以降は中村さんらが追悼を続けている。中村さんは「私が元気な間は続けたい」と話した。