デマ・中傷拡散の裏に「不安」…一刻も早い発信が必須<新型コロナ取材ノート>


この記事を書いた人 Avatar photo 嶋野 雅明
県内で「中国の人多くてまじコロナ」と嘆くツイート(一部画像を処理しています)

 中国の武漢から広がった新型コロナウイルスの感染者が国内で確認され始めた1月、SNS空間は中国人に対するデマや誤った情報であふれていた。以前に取材した複数の中国出身者に電話で意見を聞くと、ある女性が「中国語を話したら周りの人が離れていった」と明かしてくれた。根拠のないデマが実生活で差別的な動きにつながっていた。

 「沖縄にコロナの感染者」「マジ中国人勘弁」「入国目的が観光だったのかも分からない」。2月にかけて、新型コロナの感染者が出たクルーズ船が那覇港に寄港していたことから、県内でも感染者が出たとする情報やその感染源が中国人だと断定するような投稿がツイッターなどSNSで拡散した。

 だが、取材していた2月6日までに、県内では感染者は確認されていなかった。最も重視すべき感染者が出ていないという事実を無視した根拠のないデマだった。デマが蔓延(まんえん)すれば、治療や予防などに必要とされる正確な情報が伝わらない可能性もある。

 すぐに誤った情報を否定する記事を書くべきだと考えた。女性の体験も合わせて記事として紙面に掲載した。

 残念ながら問題視する記事を書いた後もデマがなくなることはなかった。それどころか感染者の増加と比例するように「〇〇で感染者が出た」などと真偽不明の情報やデマ、誹謗(ひぼう)中傷も増殖した。県内で感染が広がると、その矛先は感染者に向かった。

 「もう以前の生活には戻れない」。新型コロナに感染した本島北部の男性の切実な言葉が今も忘れられない。男性は感染拡大の第2波の渦中で陽性が明らかに。軽症で済んだが、「烙印(らくいん)」に苦しんだ。未知のウイルスへの恐怖と無理解から臆測に基づいた男性に関するデマや中傷が表出した。「飲み会でクラスターが発生した」「繁華街で飲み歩いた」。心ない言葉が男性を追い詰めた。

 しかし、こうした反応は特殊なものだったとは思えない。感染者の取材に恐怖心がなかったとは言えないからだ。理屈で分かっているつもりでも不安は拭えなかった。感染者の取材を通して浮き彫りになったのは、未知の事象に接した時の人間の危うさだった。

 よく似た状況は、東日本大震災の時にも発生した。当時、震災に伴って起きた原発事故による放射線の被害が取り沙汰された。この時も被災者へのデマや中傷が飛び交った。

 デマや誤情報、誹謗中傷は、未曽有の災害や重大な事件など社会生活を形づくる枠組みが崩れた時に、人々の不安心理の隙を突いて一気に広がる。実際の被害に加え、デマによる被害が重なれば問題は一層深刻になる。デマを打ち消し続けると同時に、人々の不安の「隙」を埋めるためにも、必要とされる情報を一刻も早く届けるという新聞の原点を見つめ直さなければいけない。 
  (仲村良太、安里洋輔)