【識者談話】10・21県民大会から25年 8万5000人怒り爆発で結集 江上能義氏(琉球大学名誉教授・政治学)


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 党派を超えて8万5千人(主催者発表)が結集した県民総決起大会から21日で25年。県民は沖縄戦から続く基地の負担に怒りの声を上げ、米軍基地の整理縮小や日米地位協定の見直し、米軍の綱紀粛正などを求めた。しかし、過重な基地負担は今なお続き、米軍関係の事件事故も起こり続けている。基地問題を根源とする不平等は解消されないままだ。1996年、日米は普天間飛行場全面返還に合意したが、まだ実現していない。これらの状況を踏まえ、識者の見方を聞いた。

 1995年の少女乱暴事件は、復帰後もほとんどの米軍基地が残ったことに対する県民全体の怒りが爆発した歴史的事件だった。県民総決起大会で宜野湾市の海浜公園は約8万5千人の人であふれかえり、県民は本当に怒っているのだと気づいた。

 その後、県は基地の整理縮小と日米地位協定の改定を要求した。政府も沖縄の怒りを鎮めなければ日米安全保障体制が危ういと、沖縄の声を聞く努力をした。その一つが米軍普天間飛行場の返還だった。

 米軍基地の整理縮小のため、政府も努力し、SACO合意をした。だが98年に誕生した稲嶺県政は、使用期限と軍民共用の条件付きで名護市辺野古への移設の受け入れを表明した。現政権はそれを逆手に取り、条件を全て取り払って巨大な新基地を建設している。

 浦添市に移設予定の那覇軍港を巡っては設計図を示さず、(基地負担が)最小限にとどまる保障はない。石垣や宮古に自衛隊基地が造られている。基地負担の解消どころか、抑止力や日米同盟の強化、尖閣対策で沖縄は基地の島として強化されているのではないか。10・21を振り返り、県民総決起大会の決議内容と当時政府が約束したこと、25年後の今、政府がしていることを検証してほしい。国民も県民も原点に立ち返り、考えるべきだ。

 (政治学)