<評伝・大城立裕さん>沖縄の自画像「異化と同化」を見つめた 編集局次長・小那覇安剛


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「国際シンポジウム琉球諸語と文化の未来」で登壇した芥川賞作家の大城立裕さん=今年2月15日、那覇市泉崎の琉球新報ホール

 沖縄初の芥川賞受賞者である大城立裕さんが亡くなった。敗戦直後から作品を発表し、最近まで旺盛な創作意欲を発揮してきた。今年も文庫本が出たばかりである。沖縄の近現代史を見つめ、さまざまな作品を世に問うてきた大城さんの新作はもう読めない。そのことが何よりも悲しい。

 「沖縄の私小説を書いています」と常々語っていた。それは、時代の荒波に翻弄(ほんろう)されながら光明を求める沖縄の姿であった。琉球王国をのみ込んだ世替わり、多くの人命を奪った沖縄戦、今なお県民を苦しめる基地問題―。それぞれの時代を描き、人を描いた。「沖縄の自画像」と言ってもいい。

 大城さん自身、揺れ動く沖縄の歩みと共に生きた。日本への同化・皇民化が進む時代に幼少期を送り、中国で敗戦を迎えた。琉球政府職員の一人として米統治と向き合った。復帰後も日本の一県となりながら独自性を模索する沖縄を見つめた。「異化と同化のはざま」という視点で大城さんは沖縄を小説、戯曲で表現し、論評を発表してきた。

 1967年の芥川賞受賞は「沖縄は文学不毛の地」というイメージを払拭(ふっしょく)した社会的事件であった。受賞作「カクテル・パーティー」は戦前・戦中における日本や沖縄の加害性に着目した作品であった。この作品では中国での戦争体験が生きている。

 2005年の本紙インタビューで大城さんは「アメリカに対して沖縄は被害者だが、戦前から戦時中にかけては中国に対しては加害者でもあった。そのことを問われた時、どう答えるべきかを考えた時、これは小説になると思った」と語っている。

 復帰運動が高まりを見せつつある時代、大城さんは沖縄と日本、米国との関係だけでなくアジアとの関係を厳しく見つめていた。その先見性と問い掛けは今も重い意味を持つ。

 「沖縄問題は文化問題だ」とも語ってきた。沖縄に横たわるさまざまな問題で文化の側面から論じてきたのである。その大城さんは近年、政治的な場にコミットし、時に発言するようになった。15年5月の「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設 沖縄県民大会」では実行委員会の共同代表に名を連ねている。

 その意図について大城さんは「沖縄の民族的な主体性が問われる正念場であり、歴史的に重要な意味を持つ節目だ。名前だけでも参加できればと思い、共同代表を引き受けた」と話している。さらに「ヤマトに遠慮ばかりしてきた歴史をはねのける局面だ」とも語った。時計の振り子のように「異化と同化のはざま」を揺れ続けた沖縄が突き付けた異議申し立てに大城さんも突き動かされた。

 晩年、大城さんは自身の病気のことや先に他界した妻のことを短編小説で描いた。今年発刊された「焼け跡の高校教師」は野嵩高校の教師時代のことを描いた。文字通りの私小説でありながら、それぞれの時代を切り取っている。

 沖縄は今なお厳しい局面にある。この島々で生きる者は沖縄の命運と向き合おうとする時、大城さんの作品の数々を手にすることとなろう。私たちがどのような沖縄の自画像を描くかを模索し続ける限り、大城さんの作品は読まれ続けるはずだ。
 (編集局次長兼編集委員・小那覇安剛)