【大城立裕氏を悼む】「文化の力で勝つ」胸に 作家・元外務省主任分析官 佐藤優氏


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佐藤 優氏

 出版社の企画で大城立裕先生と往復書簡を連載する予定だった。今年2月ごろ、先生から「私はもう持ち時間がない」と断りの連絡があり、心配していた。訃報を聞きとても悲しい。

 大城先生は最初に出会った頃から「文化に政治を包み込まなければならない」と口癖のように言っていた。政治から一歩距離を置き保守的といわれたが、そうではなかった。少数派であるがゆえの理不尽さをのみ込み、複雑な、社会的な構造の中で生きていかなければならない人々が、沖縄にはいる。沖縄の置かれた立場の弱さを知っているから「文化の力で勝つんだ」と説いてくれた。

 単行本「あなた」に収録されている「辺野古遠望」は沖縄の文化と政治の関係を考える上でとても重要だ。翁長雄志前知事が参加して、2015年に開催された辺野古新基地建設に反対する県民大会の実行委員会共同代表に大城先生も名を連ねた。当日は体調不良で参加できなかったが、辺野古遠望であの大会の様子を書いている。多くの戯曲の作品も残している。沖縄戦を主題にした作品は、被害者にとどめず加害性を組み込まないと沖縄を描けないと言っていた。

 「沖縄の自信の回復」という視点から大城先生が強調していたのは、興南高校の甲子園での春夏連覇、具志堅用高によるボクシングWBA世界ライトフライ級王座の13連続防衛、世界戦6連続KOなどの記録樹立、大城立裕の芥川賞受賞という三つの出来事だった。この三つが「自信の回復につながった」と言っていた。

大城立裕氏=2014年7月23日、那覇市首里の守礼門

 また、琉球諸語の復活について関心が高く、2月に名桜大学が主催した琉球諸語をテーマにしたシンポジウムでは、滅びつつあるウチナーグチに懸念を示し「丁寧語の創造が必要」と訴えた。先生の言う「丁寧語」とはウチナーグチの標準語の確立だ。宮古・八重山、那覇、本島南部・北部でウチナーグチは異なる。ウチナーグチの標準語の創出によって沖縄の人々は、自分たちの言語を習得し、それがアイデンティティーの確立につながると考えたのだろう。先生が発表してきた現代版組踊はウチナーグチで書かれており、それが標準語へ発展してほしい。

 沖縄の多様性への目配りを怠らなかった。私は母が久米島出身で久米島や那覇のことを学んできたが、先生からは政治的に複雑な問題を抱え、首里や那覇とは生活も言語も異なる北部で若者に教える機会を持ち、「助言をしてほしい」と背中を押された。私は日本系沖縄人か、沖縄系日本人なのかと選択を迫られたら「沖縄人」を選ぶ。自己意識の確立に当たり大城先生から多くを学ばせていただいた。

 往復書簡は実現しなかったが、大城先生から「私が死んだ後でもいいからあなたに『大城立裕論』を書いてほしい」と言われた。私はそれを先生の遺言と受け止めている。ショックはしばらく消えないが、背筋をピンと伸ばして遺言を実現したい。
                                              (談)