首里城地下の32軍壕、根強い公開望む声 県政交代で複雑な経過


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首里城地下にある第32軍司令部壕の第5坑道内部=2015年撮影

 首里城火災後、地下の第32軍司令部壕の保存・公開への機運の高まりを受け、玉城県政は今年4月に策定した首里城復興基本方針でIT技術を用いた壕内部の公開を検討することを盛り込んだ。しかし現場公開を求める市民らの声は根強く、本紙が沖縄テレビ放送、JX通信社と合同で実施した県民意識調査では、司令部壕を「保存し、公開すべきだ」との意見が74・16%に上った。

 6月、玉城デニー知事は世論に動かされる形で新たな検討委員会の設置を表明した。9月の県議会に委員会の設置費用など約727万円を盛り込んだ補正予算案を提案し、可決された。

 司令部壕の保存公開は、県政交代で変遷してきた経緯がある。1997年の大田県政は保存・公開基本計画を策定したが、98年に誕生した稲嶺県政では整備に膨大な費用が必要との理由で保存・公開を断念した。

 仲井真県政下で2012年度に実施した技術的な調査では「現状のままで公開は困難」と結論付けた。しかし専門家は「保全する必要がある」との共通認識を持ち、壕の強度について「健全な所もある。部分的に見学者を入れても大丈夫ではないか」との意見もあった。

 9月に第32軍司令部壕保存・公開を求める会(瀬名波栄喜会長)が要請に訪れた際、謝花喜一郎副知事は「今の県政でしっかりやり遂げたい」と保存・公開に意欲を示した。県は現在、委員の選考など設置に向けた調整を進めており、本年度中に設置するとしている。