大城立裕先生からの宿題 我慢し闘う手法考えよう<佐藤優のウチナー評論>


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 10月27日、作家の大城立裕先生が95歳で亡くなられた。沖縄にとって大きな損失だ。28日本紙の追悼コメントで、筆者は大城先生との往復書簡の計画があったことについて記した。その件について大城先生からのメールを紹介したい。

 大城先生とは、メールや電話のやりとりをよくしていた。2017年4月9日に大城先生からこんなメールをいただいた。

 〈最近考えていることがあります。「沖縄問題」を膠着(こうちゃく)状態から解き放ちたいのです。政府は言うことを聞く気配がないので、そのうち沖縄人がくたびれるのではないかと思います。視野をそろそろ辺野古よりはるか遠くに放ってみませんか。「同化と異化」と言いだして、同化一辺倒の人達から嫌われたのが、50年前ですが、こんどは、これから50年あとのことを考えてみたいのです。いきなり「独立」論では説得力に欠けますが、とりあえず「アイデンティティー」を築き、維持することを、考えてみませんか。具体的に「言葉」の運動をどう起こすか。伝統芸能の殿堂を、今の国立劇場おきなわの国庫負担から解放するには? 農漁業を国の補助から解放するには……その他いろいろ。この話を、新潮の往復書簡でやってみてはどうかと考えています。以上のことを、山里勝己さん(名桜大学前学長)に話したら、「名桜で対談をしないか」というので、「あなたから、佐藤さんに提案しては?」と言っておきました〉。

 大城先生の〈政府は言うことを聞く気配がないので、そのうち沖縄人がくたびれるのではないかと思います。視野をそろそろ辺野古よりはるか遠くに放ってみませんか〉という言葉はとても重い。

 この件について大城先生と何度も電話で話した。大城先生は、日本の圧倒的な力(この力は中央政府だけでなく、沖縄に在日米軍基地の過重負担を押しつけている現状で構わないとする圧倒的多数の日本人によって形成されている)に対して沖縄人は「我慢しながら闘う方法を考えなくてはならない」ということを考えていた。大城先生はその想いを「普天間よ」や「辺野古遠望」で小説にした。

 大城先生は筆者との往復書簡で、文化的、思想的、政治的、経済的にこの問題を掘り下げることを考えていた。「新潮」の矢野優編集長もこの企画を応援してくださり、第1信は筆者が書くことになっていたが、考えが纏(まと)まらず、時間が過ぎていった。宿題が未処理の状態になってしまった。

 名桜大学での大城先生と筆者の公開対談は、その後、国際シンポジウム「琉球諸語と文化の未来」(名桜大学主催、琉球新報社共催)という形で今年の2月15日に那覇市泉崎の琉球新報ホールで実現した。その2週間後の3月1日、大城先生から以下のメールが届いた。

 〈あいかわらずお忙しいことと思います。そのなかで、往復書簡の意欲を漏らされたことに、敬意を表します。ただ、当方の都合が良くありません。シンポジウムのあと体調を崩しまして、2月20日のメモには、「来年あたり死にそうな予感」とあります。今年の誕生日(佐藤註*9月25日)までもつかなと思う事があります。医者の診断では血液不足ということです。昨日、今日と一日中眠ってばかりいます。というわけで、往復書簡を一応延期ということでお願いします。大兄の単発が可能なら、読みたくもあります。当方の仕事は、たぶん三月中に文庫本を一冊出して、打ち止めということになりましょう〉。

 大城先生は、今年5月に集英社文庫から「焼け跡の高校教師」を上梓した。少し時間がかかると思うが、筆者は大城立裕論を書かなくてはならないと思っている。

(作家・元外務省主任分析官)