過酷な西表炭鉱の歴史、映画で伝える 「緑の牢獄」来年2月にも公開 台湾出身者の歩みたどる


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西表炭鉱と関わった台湾人関係者の人生の最後を追ったドキュメンタリー映画「緑の牢獄」の宣伝用ポスター。写っている女性は台湾出身で西表炭鉱の歴史を知る橋間良子さん(ムーリンプロダクション提供)

 西表島に1954年ごろまであった西表炭鉱の歴史や、そこに生きた台湾人労働者の記憶を伝えるドキュメンタリー映画「緑の牢獄(ろうごく)」が来年2月下旬にも劇場公開される。映画は、炭鉱管理者だった養父に連れられ、10歳で台湾から西表に渡った女性の歩みを追い、炭鉱の記憶をひもといていく。監督で台湾出身の黄インイクさん(31)は「西表島に大規模な炭鉱があり、そこで過酷な労働を強いられた人々のことはほとんど知られていない」と話し、後世に伝える大切さを訴えた。

 西表島で石炭の採掘が始まったのは1886年だった。当時の三井物産会社が明治政府の後押しで沖縄本島の囚人を使役して始めたのが最初で、最盛期の1930年ごろには、台湾人を含めた炭鉱労働者は1400人にも上った。西表炭鉱は労働の過酷さや、徹底して管理する逃げ場のない労働環境から「圧制炭鉱」として知られたという。

ドキュメンタリー映画「緑の牢獄」の黄インイク監督 =9月、那覇市内

 黄監督は、台湾出身で西表島で1人で暮らしていた橋間良子さん(旧名・江氏緞(こうしたん))の自宅に2014年から通い、撮影を始めた。橋間さんは1937年ごろ、台湾人炭鉱労働者の管理者だった養父の楊添福(ようてんふく)さんと共に家族全員で西表島へ渡った。第2次世界大戦後、西表炭鉱は事実上閉鎖したが、橋間さん一家は台湾には戻らなかった。「炭鉱っ子」や「外国人」などと世間から多重に差別され、名前も日本名に変えた。映画は橋間さんの炭鉱にまつわる悲痛な記憶をたどる。橋間さんは2018年に92歳で西表島で亡くなった。

 黄監督は「映画は重要な歴史断片になり得る。この断片を通して過去を振り返り、戦前出稼ぎで沖縄に来た台湾人についても議論してほしい」と期待する。

 黄監督はこれまでも八重山諸島に移り住んだ台湾人移民をテーマにしたドキュメンタリー映画「海の彼方」を製作し、「緑の牢獄」は第2弾となる。

 長年、西表炭鉱を調査しているジャーナリストの三木健さん(80)は「緑の牢獄」と著書で表現した。三木さんは「炭鉱に関わる者にとって島に出口はなく、まるで牢獄のようにがんじがらめにした。台湾人坑夫らは『モフィー』(麻薬)で縛りつけられ、抜け出せなかった。映画はこうした闇に光を当てた。アジアと深く関わりを持っていた近代沖縄の歴史を浮き彫りにした」と作品を評価した。

 「緑の牢獄」は、これまでスイスのニヨン国際ドキュメンタリー映画祭のピッチングセッションで大賞を受賞したほか、ベルリン国際映画祭や台北金馬国際映画祭などにも選出され注目を集めている。映画の詳細と予告編はムーリンプロダクションのホームページで紹介されている。 (呉俐君)