「是々非々」信条貫く 外間氏の訃報に別れ惜しむ声


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外間 盛善氏

 沖縄県議会議長や自民党県連会長を歴任した外間盛善氏=享年83=の訃報に、県内政界関係者から別れを惜しむ声が広がった。戦争で父親を亡くし、苦学をしながら司法書士、政治家の道を切り開いた。飾り気のない実直な人柄で慕われ、保守政治家ながら政界引退後には米軍普天間飛行場の辺野古移設に異議を唱えるなど、信条とする「是々非々」の生き方を貫いた。

 1980年の県議選で共に初当選した元衆院議員の嘉数知賢さんは「非常に真面目でとにかく地域のために働いた。何をするにも一生懸命な、周囲から信頼される政治家だった。その一方で豪快な一面もあり、ユニークな県議でもあった」と振り返った。県議会議長、県連会長を歴任した経歴も重なり、「仲間がまた一人逝き、さみしい気持ちだ」と別れを悲しんだ。

 政界再編が起こった1990年代に、外間氏と共に自民党を飛び出した元県議の新垣哲司さんは「(元衆院議員の)仲村正治先生の下で一緒に政治を学んだ。温厚な性格で、何事もコツコツやる性格だった」と悼んだ。外間氏が議長時代には副議長として支えており、「3週間前に会ったばかりだった。尊敬する先輩がいなくなり非常に残念だ」と肩を落とした。

 外間氏の後任として県議会議長に就いた元衆院議員の仲里利信氏も「思ったことに突き進む。いちずな人だった。自民を一緒に抜け、常に行動を共にしてきた兄弟みたいな存在だった」と振り返った。「コロナがはやる前は県議会OBの模合で会い、元気そうだった。辺野古新基地や那覇軍港の問題で後輩の指導をしてほしかった」と声を落とした。