邪気払う2頭の虎 戦前から続く絆の証し 沖縄市諸見里<旗頭の魂>


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地域住民が総出で地域を練り歩く旗すがしー=1990年9月4日(宮島眞光さん提供)

 約200年前から続くとも言われる沖縄市諸見里の「旗すがしー」。旧暦の7月16日に五穀豊穣(ほうじょう)や健康祈願の思いを込めて獅子舞やエイサーと共に演舞し、諸見里地域を練り歩く。初代の旗は戦火をくぐり抜け、現在は沖縄市立郷土博物館で保管されている。沖縄戦時や戦後も途絶えることなく継承されてきた旗すがしーは、諸見里地域に住む人たちの絆の証しでもある。

 安政の時代に諸見里地頭から贈られたと伝えられ、旗に描かれる2頭の虎は邪気を払う意味が込められているという。上部には「諸見里村」と記され、いつ頃かは不明だが下部に「青年団」と追記された。沖縄戦時中、多くの住民がやんばるへと避難した際に旗も持ち出されたとみられ、宜野座村福山で雨に打たれているところを諸見里の島袋カマドさん(故人)が発見。戦後はムートゥヤー(本家)で保管された。現在使用されている旗は複製で、実物は1990年に沖縄市立郷土博物館に寄贈された。

 戦後、諸見里は軍用地となり、現在も一部は米軍嘉手納基地内にある。収容所から解放された住民たちが1947年に諸見里に戻って以降、旗すがしーは地域の繁栄を願って続けられた。

 諸見里郷友会長の宮島眞光さん(74)は、約60年にわたって動画や写真で旗すがしーなどの地域行事を記録し続けてきた。映像には子ども会から青年会、老人会まで、地域住民が総出で地域を練り歩く様子が記録されている。約30キロの旗を掲げるのはかっぷくのいい男性が中心だが、ウスデークやエイサー、手踊りも道ずねーを盛り上げ、住民が一体となった。宮島さんは「旗すがしーは諸見里の魂だ。時代の流れで形が変わったとしても、地域で大切に引き継いでいってほしい」と次代に思いを託す。

沖縄市立郷土博物館で保管されている初代の旗頭と写真に納まる諸見里の住人ら=1990年(宮島眞光さん提供)

 今年は旗すがしーを含めたエイサーなどの道ずねーは中止に。一方、地域住民の健康を祈願するため、諸見里公民館に隣接する御願所で旗と獅子をまつり、神事のみが行われた。知念花代子諸見里自治会長は「地域の人から『寂しい』という声もあった。来年こそは実施したい」と話し、伝統を継承していく決意を示した。 (下地美夏子)

<メモ>
【灯籠】ヤマモモの文様とヤマモモの葉を模した飾り
【旗字】諸見里村
【長さ】2.7メートル
【重さ】約30キロ
【演舞】盆のウークイ翌日の旧暦7月16日