本部町出身のプロ野球選手 楽天指名の内間は2人目か


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内間拓馬選手(資料写真)

 プロ野球楽天から内間拓馬投手(本部中―宜野座高出―亜細亜大4年)が指名を受け、地元の本部町の期待も高まっている。本部町関係選手としては1950年に東急フライヤーズ(現日本ハム)に入団を決め、県勢プロ第1号となった金城政夫投手がいる。関係者によると、両親は本部出身だというが、本人の出生地などは分からないという。

 金城投手は台湾の高雄商に進み、戦後引き揚げると県内リーグで投げた。米軍との親善試合などで活躍。20代中盤の50年11月に東急への入団が決まった。当時の琉球新報は「三拍子そろって球界のホープとして華やかな存在」と伝えた。

 プロ入り後は51年に4試合、翌52年に1試合に登板。その後は西鉄(現埼玉西武)に移籍したが、登板記録はない。

 出生地を巡っては資料が残っておらず、詳細は分かっていない。本部在住の遠縁の80代女性は「両親は崎本部の北組にいた。戦後、台湾から引き揚げて母と兄、政夫さん、妹の4人で親戚宅に身を寄せていた」と証言する。一家はその後、大阪に転居したという。

 那覇近郊在住備瀬郷友会の仲村信正会長は「探ってみると戦後に崎本部小にプロ選手が来て、地元出身だと聞かされたという人もいたので、本部出身の可能性が高いだろう。いずれにせよ、続く選手として内間君には頑張ってほしい」と話した。