ガマフヤーの魂 再び殺すな、遺骨を助けよ <おきなわ巡考記>藤原健(本紙客員編集委員)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 具志堅隆松さん(66)はもう、怒りと憤りを隠さない。戦没者の血、肉が染み込み、骨片が食い込んでいる沖縄本島南部の破砕土、岩ズリが辺野古の新基地建設に使われようとしていることに対して、である。ガマフヤー(ガマを掘る人)としてこの38年間、ボランティアで戦争遺骨の発掘・収集を続け、遺骨は無言の証言者であることを実感している。

 3日、具志堅さんの案内で、糸満市米須の丘陵地を訪れた。「ひめゆりの塔」から車で5分、「魂魄の塔」に近い。「東京の塔」の裏側斜面の石灰岩採掘場。大きな岩の下の土中でその2日前、大腿骨の一部や歯が付いた下あごの骨などを見つけたばかりだ。布に包んで発掘場所に置いていた遺骨を改めて手に取り、具志堅さんはため息をつく。「案の定、です。この一帯に、今も戦没者は眠っている」。その遺骨の存在を確認せず、収集も放棄する。このままでは、単なる土塊として処理されてしまう。

 こうした状況を「戦没者への冒涜(ぼうとく)」として10月30日、参院本会議で小池晃氏(共産党)に追及された菅義偉首相は「関係法令で定められた採掘場から調達される」と短く答えた。だが、問題は採掘の手続きではない。遺骨については、「戦没者の遺骨収集の推進に関する法律」(遺骨収集推進法)がある。2016年に施行され、8年間を「集中実施期間」として「計画的かつ効果的に」必要な措置を講じることになっている。今は、法の趣旨を有効に活かさなければならない時のはずである。

 事態の経緯に簡単に触れる。

 沖縄防衛局は公有水面埋立法に基づく設計変更を県に申請。県の最終判断は年明けになる。当初、埋め立て土砂の7割は県外から搬入予定だったが、特定外来生物の侵入防止を理由として県内での調達に変更し、糸満市と八重瀬町を主要調達先とした。

 具志堅さんは、砕石場から臨める摩文仁の丘に目を移し、語り始める。

 「防衛局は、ここが激戦地で、米兵を含む戦没者の遺骨が地中に眠っていることは当然、つかんでいるはず。あるいは、把握していないと言い繕うのか。いずれにしても、遺骨への想像力に欠け、人間の道を外れている」。遺骨となって見えない土の中に放置されていた戦没者を、再び見えない海底に沈める。こんな形で永久に葬り去る。二度殺すのと同じだ。尋常ではない、と受け止めた。

 「軍(国)は戦争を起こし、召集した男たちに『戦陣訓』で死を強要した。守ることを放棄した女や子どもに対しても兵士同様、『生きて虜囚の辱めを受けず』と迫った。こうして死に追いやられた人びとが、欠片となった骨を沖縄の地に今も遺(のこ)している。国は遺骨をきちんと収集し、遺族に返すべきだ」。最期にやっと国の軛(くびき)から解き放たれて「お母さん」と言い残した戦没者の遺骨とその魂。遺骨を助けてほしい、ということなのだ。

 物言わぬ遺骨と対面するたびに、その人がどのようにして「鉄の暴風」の中で亡くなったのかを想像する。ガマでは自爆死も多い。不発の手りゅう弾が遺骨の側で見つかれば、「不発の時点で思いとどまることができなかったのが、あの戦争」と唇をかむ。

 具志堅さんは、これからいっそう忙しくなる。近く、防衛局に遺骨の確認を要請する。その申請を許可しないよう知事にも現場視察を働きかける。理不尽を見過ごすな。遺骨から乗り移った魂が、真っ当な人間としての行動を促す。

(元毎日新聞大阪本社編集局長、那覇市在住)