神奈川大学の後田多敦准教授によると、首里城正殿の写真を撮影したジュール・ルヴェルトガが乗船していたフランスの巡洋艦は1877年(明治10年)5月13日から18日まで沖縄に滞在したという。
ルヴェルトガは執筆した紀行文「琉球諸島紀行」を1882年、フランスの雑誌に発表した。紀行文には写真はないが、6点の図版(版画5点、地図1点)を収録。版画は人物が2点、風景画が3点で首里城正殿、瑞泉門、崇元寺が描かれている。
首里城正殿の写真には人の姿が確認できるが、詳細は不明。後田多氏は「巡洋艦の乗組員や内務省の職員ではないか」と推測している。御庭(うなー)には、タイル状の瓦が並べられた国王や冊封使などしか歩けない特別な道、「浮道(うきみち)」も確認できる。
版画は基になった写真を忠実に再現しているが、瑞泉門の版画では門の前に確認できるかご(人を乗せてかつぐ乗り物)が、傘を差した女性に変わっている。
19世紀初頭から琉球王国には欧米諸国の船が相次いで来航し、首里王府に接触を図った。琉球はアメリカ、フランス、オランダの3カ国と修好条約を結ぶ。ルヴェルトガが訪れた1877年は日本が琉球に対し、外交権接収命令、警察・司法移管命令などを出した後で、国内化を進めている時期だったという。
後田多氏の研究によると、1870年代にはイギリスやドイツ、フランスの公人が首里城への入城を許されていたという。後田多氏はフランスの一行が入城したり、ルヴェルトガが正殿の撮影許可をどのような経緯で得たのかについて、巡洋艦の船長のメモなどから調査を進めている。