首里城撮った仏軍人の上官の手帳 何が書いてあった?


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 確認されている中で最古とみられている首里城正殿の写真を巡り、1877年に撮影したフランス海軍中尉ジュール・ルヴェルトガが乗っていた、巡洋艦ラクロシュトリ号のアンリ・リウニエ艦長が「ルヴェルトガが宮殿と首都の風景の写真を撮ることが許可された」と手記に記載していた。関連資料を確認した琉球大の宮里厚子准教授(琉球・フランス交流史)は「訪問時に撮られたのは間違いないだろう」とし、1877年の撮影を裏付けるとの見解を示した。

「ルヴェルトガが宮殿と首都の風景の写真を撮ることが許可された」旨を示すのアンリ・リウニエ艦長の手帳の記述(エルヴェ・ベルナール氏の論文の複写)

 1877年5月、那覇港にこの巡洋艦が寄港し、数日滞在した際、ルヴェルトガ中尉が写真を撮影したとされる。ルヴェルトガは紀行文「琉球諸島紀行」(1882年)をフランスの雑誌に発表した。当時の首里城正殿、瑞泉門、崇元寺の図版版画が数点掲載されている。首里城再建を巡り、正殿前の大龍柱の向きが論争となる中、この写真は正面向きとなっており注目を集めている。宮里准教授によると、リウニエ艦長のひ孫エルヴェ・ベルナール氏の論文で、艦長の手帳について紹介している。この手帳には、琉球訪問時の詳細を記しているという。

 巡洋艦は1877年5月13日午後6時半に那覇に着いた。一行は同15日に琉球王府に歓待され、国王へのあいさつ文を物奉行を介して渡し、その後「健康上の問題で、もてなしができないことを残念に思う」旨の返事をもらった。

宮里厚子琉球大准教授

 艦長は同じ日に「翌日、ルヴェルトガ氏が宮殿と首都の風景の写真を撮ることが許可された」と記載しており、写真は5月16日に撮影されたとみられる。撮影時は「人々はとても感じがよかった。しかし内務省のナンバー2と2人の警察官はカメラマンたちにとってはとても役に立ったが、これら琉球の人々には邪魔だったであろう」とも書かれていた。宮里准教授は「琉球と日本が緊張状態にあることも理解していた」と指摘した。この写真は神奈川大学非文字資料研究センターの後田多敦准教授(琉球史、日本近代史)が14日に行われた琉球民族独立総合研究学会のシンポジウムで説明した。