「自分が何者かは自分で決める」 行進、冊子で「人権尊重」訴え 草木染めデザイナー・親富祖愛さん、大輔さん 藤井誠二の沖縄ひと物語(21)


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 ふたりが出会ったのは高校時代だ。浦添市にある同じ高校のデザインコースで大輔さんが先輩、愛さんが後輩という間柄だった。気心が知れた仲だったが、卒業してからは違う道を歩んだ。愛さんは岐阜県や長野県などでいわゆる「季節労働」をしたあと、県内の服飾専門学校に通った。大輔さんは小学校から高校までバスケットボールやブレイクダンスにのめりこみ、「黒人や人種問わずグッドなプレイをする選手や、ダンサー、ミュージシャン(音楽)をMTVや雑誌なんかのメディアを通じて好きになった」。高校を卒業してからも地元の仲間とダンスを続け、県内のヒップホップシーンにも関わった。同時に「奇抜で斬新なオリジナリティーを身につけたくて」県内の服飾専門学校に通った。

 「ジョン・ガリアーノのようなド派手な」ファッションデザイナーを目指して東京に出たが、思うようなステップを踏めず、ほとばしる表現への意欲を抱えたまま、バンドを組むなどして活動していた。ところがある日、愛さんから「手作りの服を着ている写メが送られてきて、一目惚(ぼ)れしちゃって」、それが帰沖する決定打になった。

親富祖愛さん(左から2人目)と大輔さん(同5人目)の家族。背景の絵は「BLM」のイメージで愛さんが描いた=1日、本部町渡久地のもとぶ町営市場内「Ai&Dai designs」(ジャン松元撮影)

 二人でオリジナルのファッションブランドを立ち上げようと思っていたが、たまたま現在の「Ai&Dai designs」(アイ・アンド・ダイ・デザインズ)を構えた本部町の公設市場内でコーヒーショップを営んでいた人が草木染めをやっていたことが、ふたりの方向性を確実なものにした。草木染めや琉球藍を使った沖縄の自然に回帰するような服やアクセサリーの作り手となり、県外や海外からも客がやってきた。大輔さんは、「東京に居たときからナチュラル志向になっていって、沖縄に帰ってきて結婚して子どもができて、ヤンバルで暮らして、畑とかしてネイチャーな感じで暮らしていたら、福島の原発事故が起きて、ナチュラル志向が加速していった」と振り返った。

問題の根強さ

 今年8月、ふたりは仲間たちとコザのゲート通りで「ピクニック」をおこなった。30人弱で道路を歩いた。大人や子どもたちが掲げていたのは「BLACK LIVES MATTER(黒人の命も大切)」と書いたカラフルなプラカードだった。米ミネアポリスで黒人のジョージ・フロイドさんが白人の警官に殺された事件をきっかけに世界中で巻き起こった黒人に対する暴力や構造的な差別撤廃を訴える国際的な運動だ。米軍基地で働く黒人兵からも応援のクラクションが鳴った。新聞には、愛さんの「アメリカには父も弟もいる。事件は兄弟が死んだようで胸が痛い」というコメントが取り上げられた。

 「黒人が殺されている、理不尽に殺されているという苦しさは、私がちいさいときから受けてきた差別ときれいに重なって、その苦しさを全部思い出すんです。沖縄にいたら、(アメリカで黒人が)どれだけ差別されたかもわかる。私の子どもが道歩いていてさ、肌の色だけで大人から嫌なことを言われるんだから」

 大輔さんは、高校3年の1年間だけ米オレゴン州にある高校に通った。白人やヒスパニックが多い地域だったが、けんかをふっかけられるなどアジア系住民に対するこれ見よがしの蔑視を味わい、「アメリカはみんなアイデンティティーが違って当たり前という国だと思ってたけど、肌の色や人種で分けたがる人もいて意外だった。事件が起きて問題の根深さを知り、互いの“違い”を理解する大切さを痛感した」と真顔で言った。

個性の否定

夫婦二人三脚で店を切り盛りしながら人権について考える活動をする親富祖愛さん(右)と大輔さん=1日、本部町渡久地のもとぶ町営市場内「Ai&Dai designs」(ジャン松元撮影)

 大輔さんが「マーチに参加したり、BLACK LIVES MATTERと染め抜いたシャツを作って社会に抗議したりするのは家族を守るというのもあるし、自分の身を守るというのもある」と言うと、愛さんは「私の見た目を見て、あなたお父さん、出身どこね?と言われる。今まではやさしさで教えてあげていたけど、それは仲良くなれないと言えません。それはレイシャルハラスメント(人種等にまつわる嫌がらせや差別)という差別なんです。沖縄がチャンプルーを受けいれる文化だっていうのは、勘違いだと思う。沖縄でブラックとして生きていたら、私の子供が砂場で一緒に遊んでいた同級生から、肌が黒くてかわいくないと言われたりしたこともあるんだけど、それはその人の存在と個性を否定すること」と呼応した。

 以前に愛さんが体験したことを聞いて、私はあぜんとした。とある「政治的な人が集まる集会」での出来事だ。

 「そこで発言したら、一人のおじさんが、私のことをアフリカの地名で呼んだ。私、一瞬、アタマが真っ白になって、めちゃくちゃ悔しくなってきて、“石投げられている気分なんです。謝ってください”と抗議しに行きました。けっきょく、そのおじさんは謝りましたが、悪気はないとかばう人もその場にいた。内地でコンビニで買い物してたときに、“何人?”って、すれちがった人に言われんといけんの? そう言ってくるのは男性に多いよね」

何者か自分で決める

 マイクロアグレッション=相手を傷つける意図がなくとも、人種や性別などに無意識の偏見や差別心のことだ。そういったものを日常的にかつ長年、愛さんは感じてもきた。顔見知りであっても、何気ない言葉や態度にそれは普段着の姿であらわれる。

 ふたりが中心になって作った冊子『BLMピクニック』には「沖縄や日本にBLMは関係ないのか」という切実な問いかけが貫かれている。歴史のなかで黒人差別はどのように生まれてきたのか。関係ないと思い込んでいる人にこそ、読み込んでほしいとぼくは心から思う。

 「今は自分のことをバイレイシャル(両親の人種がそれぞれ異なること)と自認することがしっくりくる。ダブルというのも、こじつけに感じるし。私がブラックだと言うと、まわりは日本人らしさを押しつけてくるし。ほんとはウチナンチュでいいんだけど、沖縄でほんとにウチナンチュになれたときってあるのかな。自分が何者であるかは自分で決めるから」

(藤井誠二、ノンフィクションライター)

おやふそ・あい 1983年石川市(現・うるま市)育ち おやふそ・だいすけ 1980年浦添市育ち。草木染めデザイナー。本部町公設市場内で「Ai&Dai designs」を展開。麻やオーガニックコットンを使用し、高温多湿の沖縄の暮らしを快適にする服づくりを目指す。ティーダ(長男)、ユンタ(長女)、ニヌファ(次女)、カナヨー(次男)の6人暮らし。『BLMピクニック』についての問い合わせは、blmpicnicoki@gmail.comまで。

 ふじい・せいじ 愛知県生まれ。ノンフィクションライター。愛知淑徳大学非常勤講師。主な著書に「体罰はなぜなくならないのか」(幻冬舎新書)、「『少年A』被害者の慟哭」など多数。最新刊に「沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち」。